もしもポケモンシリーズが小説だったら。久しぶりにゲーム専門誌を読んで思ったこと。

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今回は、久しぶりに『週刊ファミ通』を読んで思ったことを書きます。

 

ゲームだって情報媒体だ

 私が読んだのは、2018年6月7日号です。この号での発売記念特集に、

「Detroit:Become Human」という作品がありました。2038年のデトロイトを舞台に、アンドロイドが普及した社会を描いているそうです。プレイヤーが操作する主人公は、3体のアンドロイド。それぞれの視点で物語が進行していくとか。

 この記事を読んで思ったのは、ゲーム(電子ゲーム)という媒体は長いストーリーを、視点を変えながら描くのにむいているということ。

 もちろん、同じストーリーを視点(主人公)を変えて描くことは、小説・マンガ・映画などでもできることです。しかし、映画では2時間前後に収めなくてはいけないのであまり長い話はできないし、小説では絵がついていないので、ちがう視点で見た同じ出来事だということが伝わりにくいでしょう。

 ということは、ちがう視点で見た同じ出来事を伝えるのにむいているのは、いくらでも長くできて、さらに絵がついている媒体ということになります。マンガやテレビドラマはこの条件に合っています。

 しかし、マンガやテレビドラマだと、観ているだけなので臨場感が少ない。その点ゲームだと、その世界の住民である主人公を操作し、間接的にその世界に関わることができるので、臨場感が増します。

 ここまで考えると、ゲームというのはただ遊ぶだけの媒体ではなく、物語を描く媒体でもあるんですね。

 

もしも、ポケモンが小説だったら?

 で、思ったんですよ。ポケモンシリーズがもし小説で書かれていたら、どんな物語になっていたんだろうって。悪者を成敗して殿堂入りして終わりというポケモンのシンプルな物語は、ゲームという媒体が使われているからではないか。

 ポケモンのストーリーって、毎度うまくできてると思います。ストーリーに沿ってマップを進んでいくと、うまくい具合に手持ちのレベルが上がっていき、四天王戦に挑むことができるようになっています。さらに四天王戦で得た経験値でレベルアップしチャンピオンを倒すこともできるでしょう。

 おまけに「おまえ、そんなに強くなってどうするんだよ」という問いへの答えもちゃんと用意されている。主人公が大人顔負けに強くなるのは、悪者(悪の組織)を倒して地方を平和にするためなんですね。強くなるのは自己顕示欲のためだけじゃないと思わせてくれるんですから、大人から見てもステキなストーリーです。

 でも、ゲームで説明できるのは、ここまでが限界です。主人公が強さを求める理由はわかりますが、作品世界の成り立ちは、はっきりとは説明されません。なんでポケモンがわざわざ人の前に飛び出してくるのかは説明されましたが。

 そこで私は考えました。もし、ポケモンが小説だったら、ポケモン世界の成り立ちが描かれたのではないかと。SFやファンタジーには、世界の成り立ち、世界の謎を解く物語が多いような気がします。ポケモンが小説だったとしたら、ストーリーラインは

主人公がトレーナーデビューする⇒ジムを攻略しながら進む⇒悪の組織と出会う⇒あとを追う⇒悪の組織のアジトで、隠ぺいされていた世界の成り立ちを知る⇒それで君はどうするのかと悪の組織のボスに問われる⇒葛藤しながらボスを倒し、ポケモンリーグに挑む⇒チャンピオンに勝って、自分なりの答えを出す

という感じになったのではないでしょうか。ポケモンが生まれたのは人災で、今の人類はA.P(アフターポケモン)時代を生きている。さらに、この世界をB.P(ビフォアーポケモン)時代に戻すべきだという一派がいて、それが「悪の組織」として登場するとか。

 しかし、ポケモンをこのような小説にした場合、物語が一つの地方で終わってしまうという難点があります。小説だと絵がついていないので、長いバトルを描くのにはむいていないのでは。小説で描くのにむいているのは勢力争いであって、対面のバトルではないと思います。悪の組織との戦いだけで、シリーズを続けることは難しそうです。おまけに世界の謎はすでに解明されているので、ますます続編を作る必要がなくなってしまいます。

 そうなると、続編を作りまくってお金儲けをすることはできません。作り手の利益や消費者の楽しさを考えると、やっぱり、ポケモンシリーズはゲームでよかったのだと思います。

 わかっちゃいるけど、誰か書いてくれないかなあ。私はイッシュ地方編を超えるシリアスなポケモン小説を読んでみたい!

 以上。もしもポケモンシリーズが小説だったら、と考えてみた件をお送りしました。ゲーム誌を読んで考えることじゃない気がしますが。