ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

問題って実は生き物で、自主的に解けてるんじゃないか説。

今回は私見を述べる記事です。

 

タイトルからスピリチュアル系の話だと期待してクリックした方がいたら

すみません。私はスピリチュアル系の話がしたいわけではない(と思う)ので

バックを推奨します。

 

今回の記事で何を言いたいのかといえば、

問題って奴は実は生きていて、自主的に解けてくれているんじゃないかってこと。

あ、突然でついてこれない? そうですよね。えーと。

たとえば、空き時間にしてるパズルゲーム(⇓)があるんですけども。

 

 

これはどんなアプリかっていうと、配置された記号と数字をつなげて一筆書きをして

正しい式をつくりながら全てのマスを塗りつぶせたらクリア、というゲームです。

隙あらば課金をすすめてくるソーシャル系のパズルゲームとちがって

課金は要求されないうえに、続編が出ています。個人的にいつか紹介したかった

アプリですが、内容がシンプルすぎて一記事にはできないかな、と思っていました。

今回、ご紹介できてよかったです。

 

で、このアプリで(自分には)解けない問題があったとして。

初見では解けなかったけど、あとでまたやってみたら解けたりします。

それが楽しくて時々プレイしてるんですけども。ふと、思ったんですよ。

この問題が解けなかったのが「私」なんだとしたら。この問題を解いてしまった私は

はたして、以前と同じ「私」なんだろうか、と。

 

 我ながら大げさだと思いつつも、この話を家人にしたところ、

「実はあなた自身は変化しないで、問題のほうが自主的に解けているのかもしれない」と言われまして。奇抜な発想ではあるんですけども。

 私は、ちょっと面白いと思いました。つまり家人は問題というものを擬人化した

わけですね。問題自身に意思があると考えたから、こんな発想になったんでしょう。

もしかしたら問題って奴は自分のことを真剣に考えてくれる人が大好きで、

その問題のことを真面目に考え続けているとこちらに好意を持ってくれて、

自主的に解けてくれるのかもしれないと思いました。

 

しかし、この発想を採用してしまうと大きな問題があります。

だって、これだと「自分が頭を使って問題を解決した 」という認識は間違いというか

幻想だということになってしまいますから。人間が自分の知性を発揮しているとは

言えなくなるわけで。でもまあ、いいか。この「問題」だってそれこそ

考え続けていればそのうち自主的に解けてくれるんだろうし。

そしたら私は、さも自分がその答えをひらめいたように感じるでしょう。

何かの答えをひらめいた瞬間というのは実は、問題ちゃんが自主的に

解けてくれた瞬間なのかもしれません。

 

以上。問題って実は生き物で、自主的に解けてるんじゃないか説を提唱してみました。

置いてきぼりを喰らった人が大多数だと思いますが、いつか発表したかったもので。

ご清聴ありがとうございました。