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今回は私見を述べる記事です。
この間、梅田からの帰りにウチの最寄り駅のエスカレーターを降りて改札までの通路を歩いていてみかけた女性の後ろ姿がとてもかっこよかった!
この女性はその日、
髪型:茶色のベリーショート
ボトムス:縦じまで薄手のパンツ
クツ:赤いパンプス(ヒール高め)
という格好をしていらしたのです。この女性があまりにもかっこよかったので柄にもなく「女性らしさ」について考えてしまいました。
女性の格好にはルールがある気がする
女性の場合、「一目で女だとわかるような格好をすべし」という暗黙のルールがある気がしませんか? 「最低でもどこか一点は、女である印をつけておくべし」みたいな。冒頭にあげた女性の場合、このルールを足元に適用し、パンプスをはいていたわけですね。 髪型がベリーショート→ロングヘアが嫌い→女らしくするのが嫌い、だと勝手に思っていたので、髪型がベリーショート&足元がパンプス、という組み合わせが考えつかず、実際に見ると非常に新鮮でした。こういう格好はがモデルさんしかしないと思ってました。
私の場合、髪は染めていませんが、一応、セミロングです。これだって「ロン毛は基本的に女の髪型」という暗黙の了解があるから「女の印」としてこの髪型にしているのかも。私の普段の服装はカジュアルを通り越してボーイッシュであることが多く、おまけに胸が小さい。さすがにヒゲはないし声は低くないので、おじさんには間違われようがないですが、下手をすると少年には見えるかも。こんな格好をしているからには、どこか一点ぐらい「女の印」をつけておかねば紛らわしい。せめて髪型ぐらいは女らしく、なんて。こんな思考が無意識に働いて、私のファッションができあがっているのでは。
「女である印」をつける利点
私個人は「女らしさ」という規範があること自体には反対しません。「女らしさ」というルールの存在は、むしろ便利だと思っています。たとえば、他人から警戒されにくいので道を尋ねやすい、とか。平日の昼間っから単独行動していても、職務質問はまずされない、とか。これはあくまで私の主観ですが、とにかく「女である印」をつけて行動していると、そっとしておいてもらいやすい。基本的にほっといてほしい人間には、これが非常にありがたい。
まとめ。「〇〇らしさ」に囚われないこと。
まあ、この「最低でもどこか一点は、女である印をつけておくべし」というルールを認識したうえで無視するのか、利用するのか、ファッションにするのかは個人の自由です。冒頭の女性の場合は、このルールをファッションにして、髪型とクツにわざとギャップを出すことで、本人と周囲を楽しませているのではないでしょうか。暗黙のうちにある「女らしさ」というルールを楽しんでいそう。さらには、自分の人生も丸ごと楽しんでいそう。これが、私がこの女性を見た時の印象でした。実は「〇〇らしさ」に関係なく「本人がすごく気に入っている格好」をしていれば、いきいきとして楽しそうに見える、ということかも。みなさんも、「〇〇らしさ」に捕らわれず、むしろ「利用してやる!」ぐらいの気概で、ファッションを楽しみましょう!
以上、 駅でみかけた女性がかっこよかった件をお送りしました。
追記:思えば「女である印」は無害な人間の印だと解釈されているんですね。男性でもスカートを履いていたら暴力は奮ってこなさそうに見えます。「女である印」を身につけるということは「私は無害な人間です」と言っているようなもの。だからほっといてもらえるのかもしれません。女性は肉体的に非力で無害だと思われている限り、女っぽい格好は無害っぽい格好だと解釈され続けることでしょう。「女性➡︎非力➡︎無害」という解釈はもはや本能なので仕方ないですね。身体強化技術が普及するまで女は非力だと思われる時代は続きます。この時代が終わるまでは女の印をつけて「私は無害です」とアピールし、昼間っからの単独行動を楽しみましょう。せーのっ「私は無害な人間です!」
※本記事は、2020年5月28日に加筆しました。