ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

バットマン『アーカム・アサイラム』 アメコミを題材に大人の読書感想文をお送りしよう。

今週のお題「読書感想文」

 

 

本作のジョーカーは口元どころか目元の筋肉までひきつっているらしく、まるでハロウィーンの仮装に使われる仮面のような顔をしている。しかし今回の彼はその外見に反して妙に正気だ。バットマンとの追いかけっこを主催しておきながら、バットマンに直接攻撃することはない。時にバットマンを追いたがる連中を抑え、トゥーフェイスコイントスの結果に従う。妙におとなしく、実に正気である。ここまで正気だと、彼が語った「ジョーク」の真実味が増してくる。過去、彼には本当に妻がいたのではないかと。妻子を一度に失った彼はカレンダーを見てその日が4月1日であることに気づき、その日の出来事を「ジョーク」という形で自分の持ちネタにしてしまったのではないだろうか。元からコメディアン的な視点を持っていた彼は、己の不幸は他人からすればジョークにすぎないことを知っていたのだろう。ジョーカーとなった今の彼には、ジョークで片付けられないことなど何もない。男性でありながら付け爪とハイヒールを身につけているのは性別服装規範への皮肉であり、無闇と人を撃ち殺すのは「人命は尊い」という常識にツバを吐いているからだ。要するにやることなすこと全てが、本人にとってジョークなのである。いつでも天邪鬼な彼、何かに挑戦したい彼は、性別服装規範がなくなればハイヒールを履かなくなり、人殺しが合法化すれば人を殺さなくなるのだろう。ジョーカーという鏡は常に鏡像を映す。「正気」の姿が変わった時、鏡に映る「狂気」もまた、それに合わせて姿を変える。彼の人格が今ひとつ安定しないのは、人の正気が常に揺らいでいるからなのだろう。彼自身も自分が鏡であることは気づいているのだろうが、一番の問題は彼が、鏡であることを楽しんでいる点だ。彼はもう実像に、まともな人間に戻る気がないのである。彼は自分を哀れむことなく、精神病院にいながら一向に治ろうとする意志を見せない。

緑の髪、白すぎる肌にカラースーツ 。彼はバットマンに反して鮮やかな色彩の持ち主なのに、いとも簡単に闇に紛れる。彼の持つ色彩はあくまでも表面的なもので、彼の本質ではないからだ。見た目はまともなギャングでも彼以上にうまく闇に紛れることはできないだろう。バットマンとジョーカーはともにゴッサムの夜が生み出した存在であり、正反対に見えて通低音が流れている。既存のものに迎合せず反対し続けるという姿勢だ。バットマンは罪のない弱者が身勝手な人間に傷つけられる現状に怒り、抗議の意を込めて自警活動をしている。これに対してジョーカーは、すべての人間に無害かつ生産的であることを強制する社会にムカついている。いや、ムカついていた、と言うほうが正しいだろう。

本作のジョーカーは、アーカムの外を「だだっ広い精神病院」だとみなしている。彼は、精神病院は社会の縮図にすぎないことに気づき、中も外も似たようなものだと結論したのだろう。よく考えてみればその通りだ。法律という名の規則があり、市民は囚人である。市民を見張る警察官は警備員。安価な出来合い惣菜は囚人に出される飯のように愛情がない。他人の目は監視カメラ。家は牢獄。極めつけはカウンセラーである。心が不調なままであることを許さない彼らはまるで精神科医だ。精神病院にあるモノのほとんどは外にも存在する。中にあって外にないモノなど存在しない。よって、わざわざ脱走する意味はない。こう考えれば、精神病院に閉じ込められる怒りはおさまる。正気で善良な市民も自分たち患者と同じような環境で暮らしているのだと思えば怒りが湧くことはない。市民は自分たちが思っているほどには自由でなく、そのことに気づいてすらいないのだから。今の彼はもう外の世界にムカついていない。

外の世界も精神病院ならば、すべての人間は死ぬまで退院しないことになる。死ぬまで退院しないということは、生きている限り病人なのか。ジョーカーに言わせれば、すべての人間は「自分」という名の病にかかっており「自分」と「精神疾患」という二つの病の間を行き来しているだけなのかもしれない。彼はその自覚がない男を哀れむ。アーカムから去るバットマンに彼は言う。

「辛くなった時にゃあ思い出せよ…お前の場所はいつでも用意してあるからよ」(P114、9コマ目)

こうして彼はバットマンと戦うことなく穏やかに別れる。私が今回の彼は新鮮だと思っていた理由がわかった。本作の彼からは怒りよりも哀れみを感じるのだ。彼自身から哀愁が漂ってくるわけでもなく、いつものように怒りに任せてあたりを破壊しているわけでもない。『キリング・ジョーク』以後のジョーカーは内心でずっと、バットマンを哀れんでいるのかもしれない。ヴィランたちを仲間だと思わず、懸命に正気を保とうとして戦っている男を。