あまりにもうるさいと情緒もへったくれもないのだと知った。知ったというか、わかった。以前は大音量すぎて音割れしている街宣カーのスピーカーから爆音で聞こえてくる演歌のような何か(軍歌?)も、情緒があって良いじゃないかと思っていたのに。夏の風物詩とまで思っていたのに。
今日の街宣カーは家の前をすぐに通り過ぎてくれなくて、なぜか何分も停車していた。いつもならほんの数十秒でドップラー効果を伴いながら遠ざかり、すぐに聞こえなくなるのに。すぐに聞こえなくなるからこそ、あの「演歌のような何か」も情緒があって、他の状況では得られない貴重な音楽体験だとさえ思っていた。それがどうだ。街宣カーが信号待ちか何かでほんの数分停車していただけで、気づけば私は家中の窓を閉めてまわっていた。さすがに今日はうるさすぎた。我が家の窓はガラスの質が良いのかして、古いくせに防音効果は高いのが特徴である。道路に面した窓をすべて閉めると、あの爆音歌は聞こえにくくなった。
それでも窓辺に立つとまだ、かすかに聞こえてくる。私は昼寝を妨害されてムカついた。怒りという感情が乏しい私にしては珍しく心底からムカついていたが、もう夕方だったので夕飯に備えて豚肉を冷蔵庫から出して自然解凍をはじめ、数十分後にはベランダの洗濯物を取りこんだ。幸いにしてその頃には街宣カーは交差点を通り過ぎ、我が家の前から去っていた。乾いた洗濯物をたたみながら、私は決意する。
「今日のことは絶対、ブログに書こう」
私にはあの街宣カーを走らせている団体を調べて抗議するほどの熱意もないし、あの街宣カーに乗っている人たちの主義主張の内容なんかまったく知らないから、彼らの主義主張の是非もわからないのだ。そんな人間にあの街宣カーを止める力も資格もありはしない。それはわかっている。わかってはいるが、ムカつくものはムカつくのだ。だからせめて、今日のできごとをブログに書くことにした。怒りはさっさと文章化して、笑い話へ昇華するに限る。こうして記録しておけば、今日のできごとだっていつかは笑い話になるだろう。それは明日かもしれない。
以上、今日は街宣カーに昼寝を妨害されて珍しくムカついてる件をお送りいたしました。