ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

「盛れる」ほど気合い入れてメイクしたことがない。

今週のお題「盛り」

 

「盛る」というとやっぱり「顔を加工して美化する」ことを連想してしまう。現代ではこの意味で聞くことが多い言葉。私は三十歳をすぎてようやくプライベートでもメイクを始めた。でも「盛った」と言えるほどすごいメイクテクは持っていない。化粧歴は数年あるのにメイクテクには興味がなく、研究したことがない。私の場合メイクで「盛る」というのは「ポイントメイクを派手にする」程度の意味。ラメがギラギラするアイシャドウや、発色が濃くてダークな色のリップなど、ご近所では使えないアイテムを使うぐらい(⇩)

mee6.hatenablog.jp

私の「盛る」はこれが限界で、元から持っているパーツを強調しているだけ。もしもメイクにおける「盛る」が「メイクを落としたら同一人物だと認識されない」ことを意味しているのだとしたら私のメイクは「盛る」に含まれない。でも、それでいいのだと思う。持ってるパーツを強調するメイクは自分の顔が気に入ってる証拠だけど、整形みたいにほぼ別人の顔になってしまうのは自己嫌悪から出発している気がして、見ていて驚くのと同時に痛々しさを感じてしまう。メイクテクがすごい人であればあるほど、コンプレックスが強いのではないか。写真を加工して顔を「盛る」のが流行っている背景には、無数の「自分の顔が気に入っていない人たち」がいると思うとげんなりする。もちろん本人たちからしてみれば哀れみなんかいらないだろうし「手軽に可愛くなれるから利用しているのであって自分の顔が嫌いなわけではない」という反論はあるだろう。でも私はつい哀れんでしまう。哀れむのは失礼。それはわかっている。だから私はコスメの新製品レビュー動画は見てもメイクテク動画は見ない。そのユーチューバーのコンプレックスが透けて見える気がするから。

 

以上、「盛れる」ほど気合い入れてメイクしたことがない件をお送りいたしました。

 

※次回更新は25日以降になります。あしからず。