スマートフォン。略してスマホ。この携帯端末が普及した結果、老若男女問わず持っている物になった。「大人なら持っていてあたりまえ」というほどの勢いだ。みんなが持ってるせいで、駅のホームでも、電車のなかでも誰とも目が合わなくなった。おかげでとても快適だ。みんながスマホを見ているせいでホームで流されているアナウンスを誰も聞いていない気がするが、さすがに電車がホームに到着するとみんな顔をあげる。そして行儀よく並んで順番に乗車し、シートに座ったりつり革につかまったりする。そうして車内で自分の場所を確保すると、またスマホを取り出して注視する。乗る方面さえ間違わなければ、いつもの駅まで運んでくれると信じているのだろう。みんな何の疑いもなくスマホを見ている。実に平和な光景だ。間違っても暴動なんか起きそうにない。悪く言えば分断されており連帯感がないが、よく言えば誰も文句を言わず不満を持たない。私は連帯感や人情といったものが嫌いなので、みんなが自分の世界に閉じこもっている状況は平和に見える。私は知り合い以外の人間から興味を持たれるのは嫌なので「満員電車で誰もがスマホを見ている状況」は、むしろ安心できるのだ。もしかしたら、スマホが普及するとともに痴漢発生率が下がったのではないか、とさえ思う。電車のなかでも無限に暇を潰せるようになれば、すぐ目の前にいる女に興味を持たないどころか気づきもしないのではないか。そう考えると、スマホは電車のなかを平和にしたと言える。
スマホは電車のなかを平和にした、と確信したのは、朝の出勤ラッシュ時だけではない。帰宅ラッシュの時だってそうだ。ある日、帰りの電車に乗ったら10分も遅れていて、おまけに他の路線のふりかえ輸送もしていた。遅れているうえに乗客が増えていて、いつもより過密になっているはずなのに、誰も舌打ちひとつしない。そもそも「この電車は10分遅れで運行しております」というアナウンスを誰も聞いていないだけかもしれないが。それにしたって静かで平和だ。スマホは人間を分断する。今となりにいる人間との連帯感を持たせないかわりに、今起きている状況に対する不満も持たせない。いや、気づかせない。これはこれで良いことだと思う。私は怒鳴り声や怒っている人が苦手なので、誰も怒らない状況は好きだ。スマホは人から連帯感を奪い、今・ここで起きていることに気づかせなくなったが、そのかわり電車のなかを平和にしてくれた。日本にスマホを普及させてくれた人たちには、改めて感謝を伝えたい。おかげで私は今日も、平和な電車に乗っている。
以上、スマホは電車を平和にしたと思う件でした。