最近になってようやく気がついた前々からうっすら思っていたことがある。それは、Amazonで買った物はたいてい手元に残らないこと。正確には、残さないということ。自分の意思で処分しているのだから自分のせいなのだが、虚しい習慣のような気がしてきた。Amazonでは本かマンガか口紅かシャンプーぐらいしか買わない自分が悪いのだが。例外的に手元に残るのはボールペンとハンカチぐらいだ。まれにゲームソフトやCDを買っても、寄付するか中古で売ってしまう。最終的に手元に残らない物など、もはや虚無なのでは? このままでは私はAmazonで虚無ばかり買うことになるのでは? これからもずっと虚無を買って過ごすのか? さすがに無駄なのではないかと思い始めている。逆に言えば実店舗で買った物は割と手元に残っているので、どちらかというと私はリアル志向らしい。地に足を付けた生活はしていないくせに。社会不適応気味なのに、お買い物は実店舗のほうが向いているらしい。なんと皮肉な…と考えて、新たなことに気づく。手元に残らない物だからこそ。簡単に処分できる物だからこそ買っているのではないかと。本やマンガやゲームやCDは買い取ってくれるところが多いし、私は「きしゃぽん」のユーザーなので(⇩)
こういったメディア系商品ならいくら買っても問題ない。貯まってきたら箱詰めして回収してもらう。だから「読みたい」とか「これで合計3500円になるから」なんていう理由で気軽に本が買えるのだ。そして、たいていの本は一読すると納得する。面白ければブログで紹介するが、1冊1記事にしかならない。記事が仕上がったら用なしになるので、10冊ほど貯まったら60サイズの箱を買ってきて詰めてしまう。かくして、私の部屋から本が出ていく。私の蔵書は増えない。いや、増やさない。これは狭い部屋で暮らすための生活の知恵だ。下手に立派な書斎のある家に住もうものなら、蔵書が無限に増殖していくかもしれない。だから私は狭い部屋に住んでいてよかったと思う。
ここまで考えて、結論が出た。どうやら私は、虚無が虚無だからこそ買っているらしい。最終的に部屋から出ていってくれる物だからこそ、安心して買えるのだ。古くなったプチプラコスメに至っては罪悪感もなく、ケースごと容赦なくゴミ箱に捨てている。いつか、絶対に捨てる。しかも、気軽に捨てられる。そんな物だからこそ、私はAmazonで買っているのだ。だからAmazonでの買い物は虚しくなんかない。様々な虚無が一度に買えるのもAmazonの利点だから。次回もまた、虚無A(本)と虚無B(口紅)を抱き合わせて注文しようと思う。なぜなら、虚無を買うことが目的だから。
以上「私ってばアマゾンで虚無しか買ってなくない?」と思った件でした。例外的に手手元に残っている物の記事はこちら(⇩)
ゲームと推しキャラ関連しか残っていない…つまり、Switchか推しキャラの関連品を選べば、Amazonで買った物でも手元に残るということか。これは新発見!