突然ですが、みなさん「マッドサイエンティスト」ってどんな印象ですか? 私は割と好きなんですが。知的な科学者なのにどこかおかしくて。おまけに悪役だったらいうことない…というか、フィクションにおける「マッドサイエンティスト」はたいてい悪役ですよね。世界征服しようとしていたり、誘拐してきた人間で人体実験していたり…マンガでいうと『銃夢』のディスティ・ノヴァ教授みたいなキャラクターが、典型的な「マッドサイエンティスト」像かと思います。「悪役かつ知的なんて最高やん」「でも現実にはこんな人いないんよな」と思っていたのですが、薬理凶室の「アリエナイ理科」シリーズを知って、ちょっとマッドな科学者は実在するとわかってうれしくなりました。薬理凶室のメンバーは現役研究者ではなく在野の人たちのようですが、科学のすばらしさやおもしろさを広めるべく活動しているのならば「科学者」ではあるのでしょう。私には「科学者」と「研究者」のちがいすらわかっていなかったので『アリエナイ理科ノ大事典』改訂版を読んでみてよかった。
失礼。話がそれましたね。今回はトレヴァー・ノートン著『世にも奇妙な人体実験の歴史』文春文庫版をご紹介します。こちらが本題です。悪役ではなく(むしろ国家に貢献している)在野でもなく(国家プロジェクトに関わっている)本物の研究者のなかでも特にマッドな人たち、命の危険を顧みず自分の身体で人体実験した方々について書かれた本です。
正直な話、本書を読むまで「マッドサイエンティスト」の定義を勘違いしていました。てっきり「自分は安全なところにいて患者や被験者にだけ危険なことをやらせる」のがマッドサイエンティストだと思っていたのです。しかし、この認識は本書で覆されました。本当にいかれた研究者は体を張って実験する者なのだと。先駆的な人であればあるほど体を張ることになるんですね。まあ本人たちに言わせれば「だって先行研究がないんだから自分でデータとるしかないじゃん」ということなんでしょうが。危険な実験の数々は読んでいるだけでハラハラします。特に、奥様が妊娠しているのに漂流の実験を始め、お子さんが生まれてなお自ら漂流を続けたボンバール医師の話*1は「なんでこんな日程で出発すんねん!?」「生きて帰らへんかったら離婚したれ!」なんて、奥様の友人みたいな気分になりました。そのうえボンバール氏を発見した船長と奥様の会話まで想像してしまいました。幸いにしてボンバール氏は漂流から生還し「手持ちの真水が少なくても、4分の1ぐらい海水を混ぜて飲めばいい」や「プランクトンを食べればビタミンを補給できる」というデータが得られたわけですが。時代背景としてしかたないとはいえGPSも発信機もないのにガチ漂流するな。これで生きて帰らなかったら後世には偉業ではなく愚行として伝わっていたことでしょう。生還なさって何より。しかし本書ではこんな危険は序の口。伝染病の感染経路を調べるために患者の分泌物を塗ったり飲んだりした医師たちがいたり、防護素材の性能を試すために水中爆発をくらいまくった研究者がいたり、迅速な心肺蘇生措置を研究するために麻酔で16回も心肺停止になった人がいたりします。献身的すぎる研究者の家族は心配が絶えなかったでしょうが、なかには親子で加圧室に入っていた人もいます。みんな無茶しすぎ。
この他に本書のおもしろいところは、このような体を張った実験だけではなく一般人が思い描く邪悪な実験の話も収録されていること。死刑囚に寄生虫を飲ませて処刑後に解剖していたり、孤児院の子供たちに偏った食事を与えて経過を観察していたりします。うーん、邪悪。これぞ一般人の思い浮かべる「マッドサイエンティスト」ですね。本書では少数派ですが。よく考えれば大規模な実験は国家の支援がないとできませんし、邪悪な実験は戦時下ぐらいでしか許可されないのですから、現代ではこんな実験はできない…と信じたい。
以上、文庫版『世にも奇妙な人体実験の歴史』読んでみた件でした。自らの身体で安全性に関するデータをとってくれた先人に感謝を。Amazonへのリンクはこちら(⇩)
蛇足:創作:ミセス・ボンバールと船長の会話(電話)
「もしもし、ミスター・ボンバールのお宅ですか?」
「はい。夫は留守にしておりますが…」
「ボンバール氏の奥様ですね?」
「はい」
「実は先日、私の船が、漂流中のご主人を発見いたしました」
「まあ! 夫を助けてくださったんですね。ありがとうございます。それで、夫は今どこに?」
「奥様…大変申し上げにくいのですが…ご主人はお食事なさったあと、自ら海に戻られました。漂流を再開なさったのです」
「そうですか…夫は探検家でも学者でもなくて、医者なのですけれど」
「存じています。ご本人もそうおっしゃっていました」
「意志の強い人ですから、始めたことは結果が出るまで続けないと気が済まないのですわ。船長さんのご親切を無駄にするなんて、困った人ですこと」
「…もしかしたら私が、ご主人に最後に会った人間になるかもしれません」
「ええ、そうなってもおかしくありませんわ。だから、お電話くださったんでしょう?」
「はい。私もご主人のご無事をお祈りしておりますが…」
「今は待つしかありませんわ。きっと、神さまが守ってくださるでしょう。わざわざ連絡くださってありがとうございました、船長さん」
こんな会話があったのではないかと想像しています。
*1:文春文庫版『世にも奇妙な人体実験の歴史』P304~P314