実は私、からまったヒモをほどくのが好きなんですけど、なかなかないんですよね、からまったヒモをほどく機会って。私の理想が高すぎるせいで機会に恵まれないわけではないと思うんですよ。ほどく対象はヒモに限っていないですし。ほどける物でさえあればいいんですよ。ヒモだろうが糸だろうがワイヤーだろうがチェーンだろうが遺伝子だろうが「からまっているヒモ状の物」ならなんでもいいんですよ。からまってさえいればいい。いや、なんなら、からまってなくてもほどけさえすればいい。そう、極論するとからまっている必要さえなくて、ほどくことが許される形状の物でさえあればいいんです。しかしね、三次元の物体でありながら「からまってないけどほどいていい物」なんて実在しなさそうじゃないですか。なので必然的にからまっている物をほどくことになるんですけども。べつにその点に不満はないんですよ。からまっている物をほどいてあげたほうが他人に感謝されますし。たいていの場合、からまった物には困っている人がつきものですからね。だから昔は「ほどき屋さん」になれないかな、なんて空想していました。アナタのからまったもの、なんでもほどきます、みたいな。でもこれ、小説とか映画の題材にはなりそうだけど、実生活では無理そうじゃないですか。だからしかたなく、たまに訪れるほどきの機会を楽しむことで妥協していたんですよ。しかしですね、実は、一度だけ、他人様の物をほどいたことがあるんです。とあるお宅に荷解きのお手伝いに行った時のこと。部屋の数と荷物の量が多いので手分けして荷解きすることになり、一人一部屋を担当することになりました。荷物はお家に届いたばかりで、まだ段ボール箱に入ったまま。段ボール箱の中身は日用品と生活雑貨が主でした。私はひとりせっせと箱を開けては中身を備え付け収納や家具に入れていましたが、単調な作業に退屈しつつありました(不真面目)。それでも黙々と作業を続け、ある箱を開けた時。私の退屈は吹き飛びました。その箱の中身は、からまったケーブル類だったのです。ケーブルといっても珍しい物ではなく一般家庭で使われている物でした。先端がプラグになっている電源ケーブルとか、テレビとスピーカーをつなぐケーブルとか。そういう物がひとまとめで箱に入っていたのですが、からまったままでした。これを見た私は内心で「しめしめ、他人様の物をほどけるぞ」と喜びました。そのケーブル類はどう見てもそのまま使える状態ではありませんでしたので、親切心を言い訳にして、こっそりとそのケーブル類をほどきにかかりました。幸いにしてそのケーブル類はどれも色と太さがちがっていたので見分けやすく、ものの数分でほどくことができました。荷解きの優先順位を無視した作業ではありましたが、ロスしたタイムとしては許容範囲でしょう(たぶん)。このように間接的とはいえ「他人様の物をほどく」機会は二度とないでしょう。我ながら貴重かつ素敵な体験でした。私がほどいたあのケーブルたちは、今でもあのお宅で使われているでしょうか。まだ使われているのなら、どうか、からまっていませんように…え、なんでこんなこと祈るのかって? そりゃあアナタ、普通の人にとっては「ほどき」なんて面倒な作業に決まっているからですよ。私にだってそのくらいのことはわかります。それでも私はヒモをほどくのが好きなんです。いつかお会いできたら、アナタの家のケーブルもほどかせてください。雑に収納したせいでからまってしまったチェーンネックレスでも可。ほどく物体は選り好みしませんので、どうかひとつ、お願いいたします。
以上、からまった物をほどくのが好きなんだけど機会が少ない件でした。そろそろ、また何かほどきたい。
追記:9/22にこの記事がトップページに掲載され、☆と読者さまが増えました! 登録ありがとうございます。エッセイは少なめの匿名雑記ブログですが、末永くおつきあいいただければ幸いです。