今回は一気にノンフィクションへ跳びまして、濱野ちひろ著『無機的な恋人たち』の感想などをお送りいたします。
『無機的な恋人たち』の内容
小説のようなタイトルですがノンフィクションです。著者は自身の結婚生活の破綻から愛とは何かを考え、恋愛対象は異性でないといけないのか、相手は人間でないといけないのかと、根本的な疑問を抱きます。そこでアメリカにまでフィールドワークに行き、ラブドールの愛好家たちと交流し、彼らがどんな風にラブドールたちを愛しているのか、その存在がどれだけ精神の支えになっているかを取材。ヒトのように見えるけれどもヒトではないもの。心がある(とみなしている)けれど、自発的に動いたり話したりしないもの。そんなものだからこそ心のよりどころにしている人たちの話をきいてまとめています。人づてに取材する相手に出会っていくのを読んでいると、このような人たちの共同体が確かにあることがわかります。少数派ではあるけれど、そんなにマイナーな嗜好でもなさそうです。ラブドールメーカー2社のほか、ラブドールのお葬式や、ラブドールに変身するサービスまで取材しており、ページ数以上の読み応えです。
読んでみた感想
自分の人生に深刻な問題が起きた時、それが「社会制度のせいなのか、それとも単に自分が愚かなだけなのか」と問うのは大切なことだと思います。まあ現実には「社会制度に不備があるのは事実だけど、適応できないおまえも悪い」というのが結論で、社会と自分の両方に原因があるわけですが。それではその責任の内訳はどれくらいなのでしょうか。時と場合によりますが、たとえば、ひとつの問題に対する責任の全体量が「10」だとすると、問題が起きたことに対する責任の比率は「社会6:自分4」だったりしないでしょうか。よく「どちらに非があるのか」と問われますが「非」というのは「ある・ない」ではなくて「どれくらいの比率であるか」を量るべきものだと思うのです。著者もうっすらとそう思われたからこそ、19歳の自分がクズ男にひっかかったのは愚かだったけれど、それは「年頃の女は適当な男と結婚して家庭を設けるべき」という規範に盲目的に従ってしまったのが原因だと分析なさったのでしょう。もしも当時の自分に、物事を俯瞰するだけの知識と知能があったならば。本当に「女は生殖可能な年齢のうちに男と結婚して子供をつくるべき」なのか、立ち止まって考えることもできただろうに、という嘆きから取材を決意なさったのだと思います。同性どころか生身の人間ですらないものを愛している人たちを取材すれば「なんだ、べつに相手は人間じゃなくてもよかったんじゃないか」と思えて「異性を愛さなければいけない」という強迫観念から逃れられると考えられたのでしょう。実際、この本の内容を知って「読んでみよう」と思うのは「恋愛とか結婚とか面倒くさいし、よくわからない。本当にしないといけないの?」と思っている層でしょうから。本書を読んで救われる人も少なからずいると思います。本書ではラブドール愛好家だけでなく「フィクトセクシャル」(いわゆる二次元愛者、フィクションの登場人物を愛する人)についてもふれられています。「そういえばこの性癖そんな名前だったな」と思い出せてよかったです。私はたぶんフィクトセクシャルだなあ。日本には協会まであるとは知りませんでした。代表理事の近藤氏(初音ミクと結婚なさった男性)にはずっとお元気でいてほしい。
本書は、人間のセックスを神聖視するべきではないと述べられて終わります。生殖できない相手との性行為でも非難するのはよくない。当人にとって慰めになり、支えになればそれは良きことなのです。
私が本書の主旨をものすごく乱暴にまとめると「子づくりできない相手との恋愛でも不毛じゃない」「他人のセクシャリティはそっとしておけ」ですね。ラブドール(等身大人形)は確かに不気味だけれど、そういう存在に救われてる人もいる。「他人のセクシャリティはそっとしておく」のがマナーとして広がり、新たな規範になればいいな。
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更新遅れまして失礼しました。単純に忘れてた(汗)