ロマンというほどでもない

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世界が終わる当日、あなたは、滅亡の何分前までトイレに行きますか?

晦日に縁起でもない記事で申し訳ないんですが、思いつてしまったからには書かないわけにいきません。出窓から、大晦日でも洗濯物が干されているご近所のベランダを眺めながら、しみじみと思いました。

「大晦日でも人は洗濯物を干すんだな」

と。そこで考えてみたわけです。

「それじゃあ、世界が終わる日でも洗濯するのかな?

さすがに、世界最後の日の当日になってまで、わざわざ洗濯している人はいないでしょう。少なくとも私はしません。事前に世界が終わる日がわかっていれば、その前日までは洗濯していると思いますが。

「つまり、明日が来る限り人は洗濯物を干すということか」

洗濯に関してはこれが結論でした。洗濯というのは明日のためにするのであり、洗濯物を干すのは明日を迎えるためなのです。

「じゃあ、明日とは無縁にすることを考えてみよう」

明日か来るかどうかを考えるまでもなくしていることもあります。例えば食事。美味しい物を食べたいという需要はむしろ、世界の最終日にこそ高まるでしょう。食事は明日を迎えるためではなく、今日を生きるためにすることです。たとえ世界最後の日であろうとも、生きている限り人はご飯を食べます。従って、たいていの人は、世界最後の日こそ、美味い物を食べようとするでしょう。

「結論:世界最後の日でも、人は飯を食う」

ここまで考えて、重要なことを思い出しました。ご飯を食べたら排泄しないといけないのだということを。たとえ世界最後の日であろうとも人はトイレに行かなければならないのです。当日は絶食していたとしても、前日に食べた物は出さなければならない。世界最後の日でも、人は便意や尿意から逃れることはできないでしょう。

「なんと間抜けな…しかし、事実は事実だ…」

人は生理現象から逃れることはできず、事実を曲げることもできません。そこで新たな問いを立てました。

「じゃあ、世界が滅亡する何分前までならトイレに行くかな?」

我ながらとても深遠な問いなので、真剣に考えました。まず、一時間前ならば迷わずトイレに行くでしょう。一時間も我慢するのは大変ですし、尿意を抱えたまま死にたくありません。何より、尿意に苛まれていては世界の滅亡に集中できないでしょう。逆に一秒前ならば、時間がなさすぎるのでそのまま死んでしまうと思います。つまり、この問いの答えは一時間前~一秒前のどこかに存在しているのです。

「真の問題は所要時間だな」

仮に、全人類が同時に使用できる数のトイレがあるとします。残る問題は所要時間です。いわゆる小便(尿)だけであれば3分ほどで済みます。しかしこれに大便(うんち)まで含むと所要時間が伸びてしまいます。私の場合、1回のうんちで8分ほどかかったことがあります。

「手を洗う時間まで考えると、10分はほしいな」

たとえ尿意や便意を感じていなかったとしても、滅亡の10分前になったら念のためにトイレに行ったほうが良いでしょう。つまり、私の答えは「滅亡の10分前までならトイレに行く」です。

それでは「気がついたら残り時間が10分以下になっていた」場合はどうすればいいか。尿意ならば迷わずトイレに行けば良いのですが、便意だったら…

それでも私はトイレに行くだろうな」

便意を抱えたまま死ぬのは嫌です。もちろん、トイレでお尻を出した状態で一人で死ぬのも嫌なのですが、便意を抱えたまま滅亡を迎えるのは、世界に失礼な気がします。世界の滅亡はどう考えても一大事ですから、真剣に向き合いたい。お腹を下したまま世界のクライマックスを迎えるのは間抜けすぎて格好がつかないでしょう。私はお腹を下しやすいので、当日は下痢止めを飲んで過ごすと決めました。

「よし。これでまた新たな指針ができたな」

自分が出した結論を忘れずにいようと思います。これで明日「世界の終わり」が来ても慌てなくて済むでしょう。

最後に、これを読んでいるあなたに問います。あなたは、滅亡の何分前までトイレに行きますか?

 

以上、年末に考えたトイレ問題でした。

次回、新年初更新は1/2を予定しています。それではみなさま、良いお年を!