ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

祖母の家には物が多くて申し訳ない。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

父方の祖父は私が生まれる前に死んでしまったので、私は祖父の顔を知らなかった。この前、祖母宅にお邪魔した時にお仏壇の遺影で初めて祖父の顔を見たのである。言われてみれば祖父っぽい、私の父と叔父の顔を足して2で割ったような顔をしていた。どうやら我が父と叔父は祖父似で、祖母にはあまり似なかったらしい。お仏壇には少し中身が減ったカップ酒が供えられていた。生前の祖父は酒が好きだったのだという。もしかしたら今の祖父はお盆以外の時でもこっそりとこの世に来て、自分の仏壇に供えられている酒をチビチビと飲んでいるのではあるまいか。だとしても、いくら飲んでも誰にも迷惑はかけないので放っておいてよかろう。実際には酒が自然に蒸発して減っているだけのことであろうし。問題は祖母宅の物の多さである。

祖母は物を飾るのが大好きだ。祖母宅の壁にはカレンダーがかかっているだけでなく、絵画や1000ピース以上の大きなジグソーパズルや壁掛けの小さなドールハウスなどが所狭しと飾られている。そして、それ以外の壁面は家具の背に隠れている。つまり、空いている壁には全て何かが飾られているのだ。私も絵画を見るのは好きであるものの、隙間なく物で覆われている壁を見ていると圧迫感があり落ち着かない。祖母のことは好きなのだが、祖母宅ではくつろげないのである。これが私を祖母宅から遠ざける一因になっている。

ではなぜ祖母は物を飾りたがるのであろうか。おそらく祖母は寂しいのだろう。子供らは独立し夫は先立ち、成長した孫達は今ではあまり顔を見せない。近所づきあいはあるものの、基本的に一人だ。人は寂しくなると物を飾りたがるのではあるまいか。これは私の経験から想像したことである。子供の頃の私はマスコット的な物全般が苦手で、部屋にはマスコット類がほとんどなかった。それがどうだろう。学生時代にはウサギのオルゴールや猫の貯金箱を買い、卒業してからは難波でフードをかぶったCOBE COBEを買ったり京都でマスタング大佐モチーフのウサギのぬいぐるみを買ったりして、最近ではピンク色のミニダルマやガシャポンのすねこすり様をお迎えしたりしている。まるで出窓と机を埋め尽くそうとしているかのように。気をつけないとこのままではかつての私が苦手だった部屋が完成し、将来的には今の祖母のようなおばあさんになりそうな気がする。可愛い物が妙に欲しくなったり、部屋の壁を覆い尽くしたくなったりした時、その人はきっと寂しいのだ。寂しさはその家にある物の量に比例している。祖母の家には物が多くて申し訳ない。

 

 

 

ニンテンドー3DSシリーズがついに生産終了した。こうして思い出は遺物になっていくがゲームの話はする。

「ねとらぼ」を見ていたら衝撃的な記事を発見した。その内容は、ニンテンドー3DSの本体シリーズが生産終了したというニュースである(⇩)

nlab.itmedia.co.jp

悲惨なニュースはいくらでもあるが、今回は個人的にかなりショックだ。携帯に特化した新機種Switch Liteが登場した時から嫌な予感はしていたが、ついにこの時が来てしまった。こうして思い出は遺物になっていくのか。

以前のお題「ゲーム」に応募した記事でも書いたが、私はニンテンドー派だ。私のゲーム歴がほぼポケモン歴だから。なので、幼少期の思い出のほとんどをポケモンが占めている。小学生の時にゲームボーイポケットカラーでピカチュウ版をプレイしたのを皮切りに、銀➡︎クリスタル➡︎サファイア➡︎エメラルド➡︎リーフグリーン➡︎パール➡︎プラチナ➡︎ソウルシルバー➡︎ブラックをプレイした。ブランクの後にオメガルビー➡︎ムーン➡︎ウルトラサンをプレイ。ブラックの後にブランクが空いたのは、ブラック・ホワイトの後に出たブラック2・ホワイト2が完全新作ではなく、シナリオとキャラクターを追加した続編のような内容でがっかりしたから。このあたりで図鑑&シナリオ派だった私のポケモン熱が冷めてしまったらしい。それでも思い出のコンテンツであることには変わりなかったので、新作の公表は楽しみにしていた。久しぶりの完全新作だったサン・ムーンは、大人になった私もワクワクさせてくれた。次に発売されたウルトラサン・ウルトラムーンはマイナーチェンジ版といった感じで少し残念だったが、アローラ地方の完全版だと思えば腹は立たなかったし、歴代の悪の組織ボスが登場することで、ポケモン本家シリーズからいったん離れたオールドファンを呼び戻せたのではないかと思う。現に私も、レインボーロケット団編に釣られた一人である。

以上のポケモン歴は、ニンテンドーの携帯ゲーム機とともにあった。ウルトラサン・ウルトラムーンの次はどんなバージョンが出るのか。私は3DSでプレイできる完全新作の情報を待っていた。そして公表された次作は皆さんご存じ、初代シリーズのSwitch向けリメイク版である。正直、この時点でショックだった。しかし、当然といえば当然である。今までも1機種あたり3地方ほど、バージョン数にして6作ほど出した後に新機種が発売されていた。X・Yはプレイしていないので私はつい存在を忘れてしまうが、X・Y版を含めれば3DSはすでに6バージョンを達成している。突然の理不尽な決定ではなく、ただの潮時だった。

Switchでも完全新作が発売されたことだし、そのままSwitchを買ってポケモンを追い続ければよいと思うだろう。しかし私はそうしなかった。ニンテンドーの新機種を出すからにはポケモンの完全新作も出す。ニンテンドーの姿勢は変わっていないといえば変わっていない。しかし私は、ポケモンの完全新作が据置機むけに出されたこと自体がショックだった。この時点で私は察した。ポケモンの新作を新たな携帯機種むけに出していたニンテンドーが据置機むけにポケモンの新作を出したということは、ニンテンドーはもう、3DSの後継機を出すつもりがないのだと。

なんということだろうか。過去記事にも書いたが、私のゲーム歴のほとんどはニンテンドーの携帯機だった(⇩)

mee6.hatenablog.jp

ポケモンでもどうぶつの森でもレイトン教授でもない作品をプレイしてみようと思ったのは3DSのおかげだ。セブンスドラゴンⅢ code:VFDの発売前に体験版をプレイしておくとアイテムがもらえると知ってついにニンテンドーのアカウントを作り、安価な配信ゲーに手を出した。ホーム画面の着せ替えという機能があることを知り、さっそくポケモンの着せ替えを買った。3D写真が撮れると知って持ち歩き、カフェのアイスクリームや街路樹の切りカブに生えたキノコを撮影するついでにすれちがい通信したりした。私の人生における楽しさの何割かは、ニンテンドーのゲームが占めていた。特に3DSが。

後にニンテンドーは、Switch Liteを発売した。これがニンテンドーの新たな携帯機だと解釈することもできるだろう。しかしその頃には私のポケモン熱が冷めていた。結局のところ私はポケモン本家シリーズから離れ、店頭に3DSの新品ソフトがあるうちに滑り込みで買ったペルソナQ2をプレイし、その後に前作のQをプレイして今に至る。気がついたらペルソナQを最後に3DSで遊んでいない。

この機会に、ゲーム機むけのソフトを買うのをやめるというのも一つの選択肢だ。もっと気軽に遊べるゲーム、スマホのアプリゲーに移行してしまうという手もある。自分にはもう新作RPGを遊ぶだけの気合いと体力がないのかもしれない。下手をすると私の娯楽の一覧からゲームという項目そのものが消えて、完全に受け身でいられる媒体の娯楽だけが残るのかもしれない。

それでもゲームの思い出が消えるわけではない。本体の生産が終了して新作ソフトが出なくなってもファンはファンである。たとえ老害だとか懐古厨だとか呼ばれても、私はゲームの話がしたい。いや、ニンテンドーの2画面機種の話がしたい。というか、する。

ダイソーで買えるハロウィンのミニチュア置物が「どうぶつの森」の限定家具みたいで可愛い。

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ダイソーで買ったミニチュア家具2種。ぶつ森で見たことない?

今回はタイトルそのまんまの内容をお送りします。そのまんま過ぎて珍しく本文より先に画像を貼りました。ダイソーのハロウィングッズ2020「ハロウィンミニチュア置物イスとテーブル」です。「どうぶつの森」シリーズのプレイヤーなら、最新作をプレイしてなくても既視感があるでしょう。現に私なんかDS版までしかプレイしてないのに既視感がありました。パンプキングがアメちゃんと引き換えにくれる限定家具じゃん! ゲームの家具が現実になったのか(ミニチュアだけど)! ダイソーの公式サイトで画像を見た瞬間に買おうと決意しました。ゲームの家具みたいで可愛いというのもあったのですが、何よりウチにいるミニぬいぐるみに合いそうだと思ったので。スケールもテイストもぴったりだなと。

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ほらね。

テーブルは高さが約3cmで直径は約6.2cmなので体長10cmほどのぬいぐるみに合います。スケール的にミニテーブルって感じですね。一方の寝椅子は、

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COBECOBEの一番小さいやつと合う。

座面の長さが約5cmなのでCOBECOBEの一番小さいやつに合います。可愛い。しかし上下の画像を見比べてもらうとわかりますがこのミニチュア家具2種は、残念ながら縮尺が合っていません。寝椅子並の直径を持つ大テーブルなのか、テーブル並の長さしかない寝椅子なのか。家具によって人形を使い分けないとスケール感が合わない。これだけは本当に惜しいですが、100円+税の商品にそこまでの精度を求めるのも酷なので、この製品を企画して世に出してくれた皆様に素直に感謝することにします。ダイソーさんありがとう。今まで100均ショップのミニチュア家具でこういうテーマもののやつは見たことがなかったので感動しました。この調子でクリスマス版とバレンタイン版も作ってくださいお願いします! ダイソーさんに限らず! 今年はセリアでもハロウィンのミニチュア家具があるらしいのでチェックしよ。これだから100均ショップをのぞくのはやめられない。どんな作品のファンでもその気になれば何かしら出会いがあるのが100均ショップのいいところですよね。最後に。実はこの、ハロウィンミニチュア置物シリーズは全3種です。次回はあと1種を探そうっと。

テレビを買ったこと自体が災害対策。非常食より先にテレビじゃない?

今週のお題「もしもの備え」

 

今週のお題「もしもの備え」にわざわざ参加するほどウチの防災意識は高くない。一昨年の台風21号はさすがにヤバかったのであれ以来はランタンを買い足して常に飲料水を備蓄しておくようにしたし、パスタ・ラーメン類はきらさないようにしているが。せいぜいそれぐらいでありふれた対策なので書くことはないと思っていた。しかし、我が家流の対策をしていることに気づいた。それは、テレビを買ったこと自体である。

今の家に引っ越した時、テレビを買うかどうか迷った。ニュースを見るならネットで十分。アマゾンやiTunesのアカウントがあれば配信で映画が観られるから、テレビで地上波放送を観る必要もない。だったらいっそのこと、テレビレス生活を始めてみては? と考えた。しかし好きな番組もあるし、NHKぐらい観るだろうと考え直してテレビを購入。以前使っていた機種よりもモニターが小さくて薄い機種だ。気がついたら使い始めて今年で10年目だが一向に壊れる気配はない。なかなかいい買い物をした。シャープさんありがとう。今回のような自然災害ではテレビが役に立つ。紙の新聞は情報がよくまとまっており、情報収集が視覚優位な人にはいい媒体だと思うがいかんせん情報が遅い。その点、テレビは音声・文字の両方を使って伝えてくれるので聴覚優位な人にも向いているし、視覚優位な人にも理解しやすくて助かる。ネットほどではないが紙の新聞よりは情報が早い。おまけにテレビ番組はいつも同じ局が同じ時間に同じ番組を流しているので、ニュースをやっている時間帯を把握して見られるのもいいところ。台風などの場合、更新され続ける気象庁のサイトにずっと張りついて見ているわけにもいかないのでニュース番組は便利だ。朝晩2回ニュースを見る習慣をつけておけば台風の情報はバッチリ追える。台風に直撃しない所に住んでいる場合、情報を確認する頻度はこれぐらいでいい。

基本的にマスコミは不安を煽るのが仕事だと思っているので(偏見だが)、経済的な報道はあまり信用していない。全員が平等に損をする状況はありえないからだ。しかし、自然災害や疫病など元から不安な要素の場合は信用できる。不安なことを伝えるマスコミの性格を遺憾なく発揮し、正確な情報を送ってくれる(と、私は思っている)。だから私は、災害時にはテレビで情報を得ている。近畿地方は明日、大雨警報が出るかもしれない➡︎明日は外出できないかもしれない➡︎今日中に買い出しに行っておこうと思えたのもテレビのおかげである。ありがとうテレビ。ウチは新聞の購読をしていないしニュースサイトはろくに見ないけど、台風が来ていることを知れたのはアナタのおかげだ。迷ったがテレビを買っておいてよかった。非常食や水を買い置きするのが面倒な人は、先にテレビを買おう。非常食を買うべきかどうかはテレビを見てから判断しても遅くないぞ。今回の台風10号に関してはもう遅いかもしれないが。テレビは電源の入り切りが一瞬で済むし、パソコンより単純な構造なのかして壊れにくく、長持ちするので1台ぐらい置いておいて損はないと思う(床面積に余裕があれば)

以上。我が家の災害対策はテレビを見ることの件をお送りしました。

 

追記:ここ数日、読者様が増えて30名様になりました。ありがとうございます。28名を超えたあたりで読者登録のお知らせが届かなくなった気がするけど気のせいか。これからも頑張ります。

 

蛇足:私が好きなテレビ番組は、不安を煽らない経済番組「WBS」と、又吉さんが色んなことを学ぶ番組「ヘウレーカ!」である。趣味系より知識系の番組が好き。

バットマン『アーカム・アサイラム』 アメコミを題材に大人の読書感想文をお送りしよう。

今週のお題「読書感想文」

 

 

本作のジョーカーは口元どころか目元の筋肉までひきつっているらしく、まるでハロウィーンの仮装に使われる仮面のような顔をしている。しかし今回の彼はその外見に反して妙に正気だ。バットマンとの追いかけっこを主催しておきながら、バットマンに直接攻撃することはない。時にバットマンを追いたがる連中を抑え、トゥーフェイスコイントスの結果に従う。妙におとなしく、実に正気である。ここまで正気だと、彼が語った「ジョーク」の真実味が増してくる。過去、彼には本当に妻がいたのではないかと。妻子を一度に失った彼はカレンダーを見てその日が4月1日であることに気づき、その日の出来事を「ジョーク」という形で自分の持ちネタにしてしまったのではないだろうか。元からコメディアン的な視点を持っていた彼は、己の不幸は他人からすればジョークにすぎないことを知っていたのだろう。ジョーカーとなった今の彼には、ジョークで片付けられないことなど何もない。男性でありながら付け爪とハイヒールを身につけているのは性別服装規範への皮肉であり、無闇と人を撃ち殺すのは「人命は尊い」という常識にツバを吐いているからだ。要するにやることなすこと全てが、本人にとってジョークなのである。いつでも天邪鬼な彼、何かに挑戦したい彼は、性別服装規範がなくなればハイヒールを履かなくなり、人殺しが合法化すれば人を殺さなくなるのだろう。ジョーカーという鏡は常に鏡像を映す。「正気」の姿が変わった時、鏡に映る「狂気」もまた、それに合わせて姿を変える。彼の人格が今ひとつ安定しないのは、人の正気が常に揺らいでいるからなのだろう。彼自身も自分が鏡であることは気づいているのだろうが、一番の問題は彼が、鏡であることを楽しんでいる点だ。彼はもう実像に、まともな人間に戻る気がないのである。彼は自分を哀れむことなく、精神病院にいながら一向に治ろうとする意志を見せない。

緑の髪、白すぎる肌にカラースーツ 。彼はバットマンに反して鮮やかな色彩の持ち主なのに、いとも簡単に闇に紛れる。彼の持つ色彩はあくまでも表面的なもので、彼の本質ではないからだ。見た目はまともなギャングでも彼以上にうまく闇に紛れることはできないだろう。バットマンとジョーカーはともにゴッサムの夜が生み出した存在であり、正反対に見えて通低音が流れている。既存のものに迎合せず反対し続けるという姿勢だ。バットマンは罪のない弱者が身勝手な人間に傷つけられる現状に怒り、抗議の意を込めて自警活動をしている。これに対してジョーカーは、すべての人間に無害かつ生産的であることを強制する社会にムカついている。いや、ムカついていた、と言うほうが正しいだろう。

本作のジョーカーは、アーカムの外を「だだっ広い精神病院」だとみなしている。彼は、精神病院は社会の縮図にすぎないことに気づき、中も外も似たようなものだと結論したのだろう。よく考えてみればその通りだ。法律という名の規則があり、市民は囚人である。市民を見張る警察官は警備員。安価な出来合い惣菜は囚人に出される飯のように愛情がない。他人の目は監視カメラ。家は牢獄。極めつけはカウンセラーである。心が不調なままであることを許さない彼らはまるで精神科医だ。精神病院にあるモノのほとんどは外にも存在する。中にあって外にないモノなど存在しない。よって、わざわざ脱走する意味はない。こう考えれば、精神病院に閉じ込められる怒りはおさまる。正気で善良な市民も自分たち患者と同じような環境で暮らしているのだと思えば怒りが湧くことはない。市民は自分たちが思っているほどには自由でなく、そのことに気づいてすらいないのだから。今の彼はもう外の世界にムカついていない。

外の世界も精神病院ならば、すべての人間は死ぬまで退院しないことになる。死ぬまで退院しないということは、生きている限り病人なのか。ジョーカーに言わせれば、すべての人間は「自分」という名の病にかかっており「自分」と「精神疾患」という二つの病の間を行き来しているだけなのかもしれない。彼はその自覚がない男を哀れむ。アーカムから去るバットマンに彼は言う。

「辛くなった時にゃあ思い出せよ…お前の場所はいつでも用意してあるからよ」(P114、9コマ目)

こうして彼はバットマンと戦うことなく穏やかに別れる。私が今回の彼は新鮮だと思っていた理由がわかった。本作の彼からは怒りよりも哀れみを感じるのだ。彼自身から哀愁が漂ってくるわけでもなく、いつものように怒りに任せてあたりを破壊しているわけでもない。『キリング・ジョーク』以後のジョーカーは内心でずっと、バットマンを哀れんでいるのかもしれない。ヴィランたちを仲間だと思わず、懸命に正気を保とうとして戦っている男を。

課題図書の処分はどうする? どうせなら売って寄付してみない? 「きしゃぽん」で。

今週のお題「読書感想文」

読書感想文の後に残るモノと言えば課題図書である。いつの間にか自由図書とかいう選択肢ができたようだが今回は置いておこう。

課題図書制度の何が問題かと言えば事務処理が面倒くさくて図書館員(司書)の負担が増えることだけではない。毎年、愛着のない本が本棚に1冊増えてしまうことこそ問題である。

図書館の蔵書になれた課題図書はまだいい。国会図書館以外の図書館ではいずれ除籍されて蔵書ではなくなるのだとしても、数年は保管されて人に読まれる。では、一般の人が買った課題図書はどうなるのだろう? 図書館に寄贈? いや、図書館はすでにその本を持っている。課題図書なのだから。じゃあどうする? 古紙回収? 確かに紙製品だしリサイクルされるが本をゴミにするようで気が引ける。じゃあどうする? そこで多くの人が考えるのが、ブックオフその他の新古書店だろう。前回の読書感想文から早一年。本好きの親御さんであれば蔵書が増えて本棚を圧迫している頃だ。課題図書を処分するついでに蔵書を整理しようと考えて当然である。今ちょうどブックオフではキャンペーンをやっているようだ(⇩)

www.bookoff.co.jp

しかしまあ書籍は安値で買い叩かれるのが目に見えているし、正直な話、ゲームやCD・DVDといった電子メディアの方が買取価格が高い。電子メディアも買い取りしている店舗の場合は本より電子メディアを持ち込んだ方がいい。それに今は新型コロナの流行中なので都市部の店舗に行きたくない。カウンターで店員と対面したくない。そもそも今まで新古書店を利用したことがないし、ほんの数百円のために営利企業に個人情報を垂れ流すのは気が引ける。かといってこのまま放っておけば家の本棚がいっぱいになる。どうしたものか。

そこで私が提案するのが「きしゃぽん」である(⬇︎)

kishapon.com

「きしゃぽん」とは、埼玉県に本社センターがある嵯峨野株式会社が提供しているサービスで、お客から古本などを買い取り、買取金額+100円を指定された団体に寄付するというものだ。私も先日、1箱送らせてもらった。私は今、査定結果の連絡待ちである。現在は繁忙期なのかして査定結果のお知らせが3営業日以内⇒3週間以内とかなり遅くなっているが、どうせ営利企業に個人情報を渡すのであれば寄付を検討してみては。実は大学もいくつか寄付先に名を連ねている。かくいう私も、寄付先に母校を指定した。いかな母校とはいえ現金で寄付するのは抵抗があるという人はこの機にいらないものを処分して、そのついでに寄付をしよう。普通の買取と違って自分の懐には金が入らないが、不用品処分と寄付がいっぺんにできて便利だ。迷いなく新刊本を買えるような、懐に余裕のあるアナタなら、自分の懐に金が入らなくても問題ないだろう。え? そもそも紙の本がたまることはない? 本を買う時はいつも電子書籍? これは失礼。そんなアナタはこれからもペーパーレスでエコな読書生活を続けてくれればいい。課題図書を持て余した親御さんや、それ以外の人。紙の本がたまってしまう全ての人へ。一度「きしゃぽん」の利用をご検討ください。意外と身近な団体が寄付先の候補にあるかもよ。

以上。査定結果を楽しみにしている人より。

 

追記:8月20日付で送った箱の査定結果のメールが本日(9月3日)届いた。嵯峨野株式会社からのメールによると私が送ったアイテム29点(3DSソフト、CD、文庫、新書、攻略本)のうち24点に値段がついて、買取額は2300円ほどになったらしい。ちなみに、私が今回送った箱は80サイズが1箱である。「きしゃぽん」のサイトによると、寄付先が大学の場合、100サイズの箱一つにつき500円ぐらいが買取の平均らしい。だとしたら今回の私はかなりの好成績を出したことになる。ちょっと嬉しい。

 

追記2:先日、なんと礼状が届いた。

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礼状が入っていた封筒。空の封筒なら撮影しても個人情報はもれない。

受領書を兼ねているので差出人は嵯峨野株式会社だ。中を開けると書類が1枚入っており、募金報告(と言っても送金予定日はまだ先だが)の後に、募金先からのお礼メッセージが記載されている。ひとつ残念だったのは、申し込み用紙の卒業生欄にチェックを入れたのに一般向けのメッセージが書かれていたこと。せっかく寄付者に「本学との関係」を尋ねるのだから、関係者別メッセージの文面を作っておいてほしかった。我が母校でありながら手抜きだったのが少し悲しい。しかし礼状をもらえるとは思っていなかったのでうれしかった。査定額のお知らせメールが来た時点で取引は完了したと思っていたが、嵯峨野株式会社の事務処理では礼状を送るまでがセットらしい。ペラ1どころか紙半分の短さだが、母校からの礼状をもらって気分を良くしたい人にはオススメ。

 

※本記事は、2020年9月8日に加筆しました。

読書好きだが読書感想文なんて文化は滅べばいいと思う。

今週のお題「読書感想文」

正直な話、読書感想文なんて文化は滅べばいいと思う。あんなモノ書かせなくても幼少期から本好きは本好きだし、本嫌いは本嫌いである。大人になったらビジネス書や専門書を読まなくてはならないのだから、進路の文・理を問わず、とりあえず本好きになるよう育てておこうというのは間違っていないが。「読書なんて趣味の一種なんだから全員に強制しなくてもいい」と一蹴するわけにはいかないだろう。資格の勉強をするにもテキストを読まねばならないのだから。国民の多くが頭脳労働に就いている現代において読書はただの趣味ではなくスキルアップの手段である。料理ができなくても中食すればいいし、洗濯ができなくてもクリーニングに出せばいいし、掃除ができなくても定期的にハウスクリーニングに頼めばいい。現代では生活能力が皆無でもお金さえあれば生活できる。しかし、スキルアップのための勉強は外注できない。金を払って代行させることはできないのだ。だからこそ、読書だけは自力でできなければならない。そう結論した親が今年も子供の読書感想文を手伝うことになるのである。それはわかる。わかるのだが、独学するにしても今時は音声の教材もあるし、一昔前のように読書習慣を身につけさせることに固執しなくてもいいだろう。だいたい年に一回だけ本を読ませてみても本に親しむようにはならない。本気で読書の習慣を身につけさせたいなら、幼少期から絵本の読み聞かせをするとか、親子ともに一日○分間は本を読むとか、○時〜○時は本を読むとか、とにかく毎日、継続的に本を読ませるしかないだろう。ここまでしても読書好きになるとは限らないが。子供を読書好きにする一番の方法は親が読書好きになって、いかにも楽しそうに本を読んで見せることである。自我が未発達の子供は親が楽しそうにしているものに興味を持つ。そして、物心つく頃には親と同じようなものを好きになるのだ。こうなったらしめたもので、親は家庭内で趣味の話ができる仲間を得ることになる。現に私の家ではお互いが買った本を貸し借りして感想を言い合っている。要するに親御さんはご自分が嘘偽りなく心から「楽しい」と言えるものをお子さんにオススメすればいいのだ。お子さんをご自分の趣味に巻き込んで仲間にしてしまおう。独学の方法はお子さん本人が長じて自力で身につければいい。日進月歩で技術が進み、様々なサービスが現れては消える現代においては学校が独学の方法を教えるよりも、本人が必要だと思った時に自分に合った方法や教材をその都度探した方がいい。たった一つの「読書」という手段で人生が乗り切れると思うのは、「読書」という行為を過大評価した幻想である。だから読書感想文なんか滅べばいい。感想文を書かされることを大前提にした読書なんて、たとえ自由に選んだ本でも絶対に楽しくない。ただでさえ学校では楽しくないことばかりやらされるのに夏休みに家でも楽しくないことをしろだと? ふざけるのも大概にしろよ教育委員会。世の中には誰にも頼まれてないのに好き好んで書評ブログをやってる人間が山ほどいるんだぞ。アンタらが余計なことしなくても、一部の人間は勝手に読書好きになるんだよ。だから来年からは読書感想文を廃止しろ。読書好きの子供だった私でも読書感想文だけは嫌いだったんだから。あんなモノずっと書かせてたらそのうち全日本人が読書嫌いになるに違いない。