ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

1円玉貯金ができる『人生銀行ONE』で貯めた金額が200円を超えてる。

今週のお題「おうち時間2021」

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我が家の人生銀行ONEは200円ほど貯まっている。

こんにちは。画像を圧縮して容量を抑えたのに画像がでかくなってしまったミーシックスです。突然ですがみなさんは貯金箱ってお持ちですか? 私は持っています。⇧の画像の『人生銀行ONE』を。これはタカラトミー製なので分類は玩具*1なのかもしれませんが電池いらずなので今どき珍しい省エネおもちゃです。貯金箱といえば普通500円玉を貯めるものだと思うのですがこいつはちがいます。こいつはなんと1円玉専用で、しかも本体がないのでペットボトルが別に必要という面倒な奴。それでも用途があまりに限定的すぎて存在自体が面白かったのでつい買ってしまったのですが。使い時がなく財布の中に貯まっていく1円玉を募金箱に入れていたみなさん、そのお金、自分の手元で貯めてみませんか? 1円玉でもお金はお金なんだから、人にあげるんじゃなくて手元に置いておきましょうよ。チリも積もれば山になるって言いますし。この場合のチリは現金なんだから積もるのは金額なんですよ? なんか得した感じしませんか? 例年だと1年で100円くらい貯まるんですけど、去年と今年なんかコロナで初詣に行けてないから貯まる一方で貯金額がついに200円超えに…え、お賽銭は「人にあげる」に含まれないのかって? えーと。実は私、毎年お賽銭用に1円玉貯金してまして。年明けに大量の1円玉をお賽銭箱にバラバラと落として入れると、1円玉といっしょに厄も落とせる気がして。これが毎年気分が良くて楽しみで。だから目的を持って計画的に貯めていたんですが。去年も今年も初詣に行けてないんですわ。だから今はこの1円玉貯金の使い道に困ってるんですよ正直。でも続けるけど(笑)500mlのペットボトル1本につき500円は貯められそうですね。アマゾンのレビューによると2Lのペットボトルで2,000円ほど貯められるらしい。ボトルの容量=貯められる金額なのかも。みなさんもこの機におうちで貯金(物理)を始めてみませんか。以上。

 

追記:本日、当ブログは開設して満4年を迎えました。その記念も兼ねてお題に参加した記事を投稿したら読者登録していただけました。ありがたや。できるだけお題に参加することと、記念日に記事をアップすることは大切ですね。

  

 

*1:そういえばこれを買ったのはどっかのトイザらスだった。やはり玩具なのか。

シャンプーの「andand」シリーズ使ってみた。トリートメントの効果を実感するようになったら歳ですね。

今週のお題「おうち時間2021」

 

これを機に買ったままになってたシャンプーを引っ張り出して使い始めた。花王のandandシリーズである。このシリーズに限らず市販品シャンプーのレギュラーサイズはただでさえ私には大きすぎるし、シャンプー×3とトリートメント×3で9通りの組み合わせがあるとなればなおさらレギュラーサイズは買えないので全種のミニサイズが入ったお試しサイズパックを買ってみたのはいいが放置していた。緊急事態宣言が出され、都会の商業施設が軒並み閉まり、仕事帰りに寄り道する楽しみがなくなってはじめて存在を思い出し「そうだあのシャンプー使ってみよ」と思った。そしてようやく開封した。今は左端のシャンプー「気ままに」と同じく左端のトリートメント「はしゃぐ」の組み合わせで使っている。シャンプーは「ティーハーモニー」でトリートメントは「ヴィヴィッドフルーツ」という香りらしい。どっちも良い香りでけっこう気に入っているがこの組み合わせに特に意味があるわけではなく何も考えずにただ端から使った。今は散髪に行けていないので私の髪は長めのセミロングになっておりミニサイズシャンプーの減りが早くて9通りを試す間がなさそうなのと久しぶりにしたトリートメントがめちゃくちゃよく効いて髪がマジでツヤツヤになってショックを受けたことは計算外だった。この場合トリートメントの効果が高いというよりは自分の髪が加齢とともに傷んでトリートメントの効果がモロに出るようになってしまったのだと思う。市販品トリートメントの効果を実感するようになったら(髪が)歳ですね。自分の髪年齢を確かめたい人と良い香りに癒されたい人、そして生産中止の香りを再び楽しみたい人にオススメのパックです。以上。

 

公式サイトに載ってないシャンプー「ティーハーモニー」とトリートメント「スパイシームスク」を使いたい方にオススメのパック。

小説家志望者にオススメの本『文体練習』には99パターンも文体が載ってて感動した。

お題「読書日和」

  

 

やばい。仕事が立て込んできててブログを更新するヒマがない。このままだと10日以内更新が達成できない。だから今日、更新する! ということで温存していた奥の手その2をお送りします。その名も『文体練習』という本です。小説家志望の方にはガチでオススメなのでぜひお読みください。ただし、お値段3000円越えですが。それでもオススメ。ただの短編小説集に飽きている方にもおすすめ。同じ状況をちがう文体にして書きまくるという実験的な本です。この本の存在を講義で教わった時、これだけでも大学に来た甲斐があると思ったほどに感動しました。なんとこの本、文体の見本が99パターンも載っているんですよ。これだけの文体を思いつくとは。著者のレーモン・クノー氏は筆力ありすぎ。目次の総項目数は99の文体見本+3つの付録+訳者あとがき=103項目となっています。壮観ですね! この99パターンの中には、これを文体と呼んでいいのかと疑いたくなるものから、これを文体と呼ぶのは無理があるだろとツッコミたくなるものも。例えば35~37の「音消失」系や54~58の五感系はかなり無理やり感があり、「34・同一語の連続使用」と61・62の置き換え系に至っては無理やりを通り越してもはや反則です。この項目は正直に言って小説家志望者が読んでも全然参考になりません。しかしこの反則っぷりも含めて楽しい作品です。おすすめの読み方は「1・メモ」を読んで主題になっている状況を覚える➡目次をざっと読んで気になった項目を読む、ですね。なにせ文体見本の数が多いので順に読んでると疲れますし、早く読み終わってしまうともったいないので。99文体の中で私のおすすめは、著者が中二病にかかったかのような文体「45・荘重体」と、傑作ショートショートを読んだ気になれる「99・意想外」ですね。これはさすが最後にされているだけのことはある。

今思いついたこの本の面白い読み方は、まず「1・メモ」を読み、自分ならこの状況をどう描くかを考えて実際に小説を書き、自分の書いたものと見比べながら読む、ですね。まず自分で書いてから読んだほうがさらに面白いかもしれません。自分が(しいて言うなら)どの文体に近いかわかりますし。これはいつか実行してみたい。

最後に。この本でもっとも驚くべきことは、本書は翻訳書であることですね。しかも原書はフランス語なんだとか。この本で化物なのは著者じゃない、翻訳者だ…そういえば、アルファベットのEを一度も使わずに書かれた原書を、ひらがなの「い」を一度も使わずに和訳した人とかいたな…あれに比べればまだマシなのか? どちらにせよ本書を和訳しようと思った時点でものすごくチャレンジングなのは間違いない。翻訳者様ありがとうございます。今後私がどれだけ困窮しても、この本だけは手放しません。

 

3000円以上する本なんか買わない図書館で借りるわという方向けに、以下、本書の簡易な書誌情報を載せておきます。

 

タイトル:文体練習

著者:レーモン・クノー

訳者:朝比奈弘治

発行所:株式会社朝日出版社

 

以上。99パターンも文体見本が載ってる本『文体練習』をご紹介しました。懐に余裕のある方はぜひお買い求めください。

  

謎の間取りを紹介する本『ヘンな間取り』は怖い間取りも紹介してておもろい。

今週のお題「間取り」

 

  

 

このお題を見た瞬間にこの本を思い出して紹介しようと思ったはてなブロガーさんは私の他にあと百人、いや千人はいそうだと思ったし、おまけに今はもう手元にないんだけど存在自体が面白い本なのでこの機に紹介してみます。一時期はまって、初代のこれ(⇧)のあとにもう1冊『ヘンな間取りGOLD』ってバージョンも買いました。間取り図の作画ミスってこんなにおもろいのかって。だってこの間取り図の通りの部屋を想像したらさ、住めないっていうか生活できないっていうかよく見たらそもそも部屋に入れなかったりするし(笑) いやホント独特の面白さなんですよ。本文はまずキャッチコピーが面白いし、解説がツッコミを兼ねているのがたまらん。不動産×サブカルって感じで、面白がれる人はめっちゃ笑えるんだけど気づかない人は気づかないし気づいても笑えないかもしれないっていう微妙なところをついていて絶妙にツボッた覚えがあります。この本の企画を通したイーストプレスの編集者様は天才だと思います。私もこういう日常の中の小さな気づきがお金になるような仕事がしたい…あ、いかん思わず本音が。それは置いといて以下もうちょっと内容を紹介してみましょう。

 

『ヘンな間取り』の目次(抜粋)

1の間、入れない部屋

2の間、くつろげないバス・トイレ

3の間、楽しい食卓⁉

4の間、どう使う? この部屋

5の間、恐怖の隙間

6の間、ありがた迷惑なオプション

7の間、謎のバルコニー

8の間、使えない収納

9の間、こんな形でゴメンナサイ

10の間、まだある「ヘンな間取り」

 

はい。ざっとこんな感じです。みなさんもうお気づきかと思いますが内容が面白い本ってもう目次からして面白いんですよね。「1の間、入れない部屋」はkindleで試し読みができるのでどうぞ。私も久しぶりに読んで楽しみました。正直、この章が一番わかりやすくおもろいです。他に印象的だったのは「5の間、恐怖の隙間」ですね。なんでこんな隙間ができちゃったの? 何に必要だったの? どうやって使うの? 物を落としたら拾えない! そんなやっかいな隙間がある物件を特集しています。この隙間に虫とかネズミとか幽霊とかが住み着いてても誰も気づかないというか駆除できないのでは。『ヘンな間取り』に載ってる部屋って、実在してたとしても住みたくない物件のオンパレード。『ヘンな間取り』で笑っていられるのは自分がそこに住んでいないからこそ。やっぱり、変な間取りの部屋は2次元だけにしておきたいですね。いやホント、この本ではどの物件を見ても…住みたくねえ(笑) この間取り図で広告を出しても永遠に入居希望者は現れないと思います。いつまで経っても内見案内はできなさそう。こんな変な間取りの物件を抱えちゃった不動産屋さん、がんばれ!

  

 

こっち(⇩)のほうが評価が高いのでついでにどうぞ。

 

ホラー好きにはこちら(⇩)がオススメかも。私は読んでないですが一応。

 

「幼稚である」を「心の視点が低い」と言い変えてみることにした。

今週のお題「下書き供養」

 

今回は私見を述べる記事です。

私は幼少期、地面にあるものに気を取られがちでした。ドングリとか枯れ枝とかバッタとかアリとか。大人になった今は、こういったものにはあまり興味がありません。では、これはどうしてなのでしょうか。

身長が高くなったのが要因だと思います。背がのびて視点が高くなり、地面にあるものがよく見えなくなったので、気を取られないようになったのです。そのかわりに周囲に注意するようになり、他人の通行の邪魔にならないよう道の端に寄りながら、まっすぐに自分の目的地へ向かうことができるようになりました。

これを精神的に考えてみます。

地面にあるものに気を取られる=些細なことが気になる

視点が低い=全体像が見えにくい

こう考えると「幼稚であること」を「心の視点が低い」と言い変えられるでしょう。意識が高い・低いという表現もあることですし、よく考えたら低い=幼いというイメージはすでにあるんですよね。だからこの言い変えは的外れではないと思います。

これはあくまでも、私自身への提案です。最初の構想ではこの記事で、自分の身の回りにいる幼稚な人にムカついている人にむけて、幼稚と言うと悪口で、相手を攻撃しているように聞こえるから「幼稚である」を「心の視点が低い」と言い変えてみたらどうか、という上から目線の提案をしようと思っていました。こうすれば、口に出した時に罪悪感がわきにくくて、腹が立たないのではないかと思って。でも、あとで気がつきました。言い変えても実害を受けていたらムカつくことに変わりないだろうし、人によっては幼稚と言うよりさらに失礼に感じるかもしれないと。 

 

…下書きは以上です。ここまで書いておきながら結論を思いつかなったことを思い出しました。よく考えたら他人様に提案できることではないし、自分で実行しているわけでもないので宙に浮いた記事になってしまったのです。そこで今回のお題に投稿しました。「下書き供養」はいいお題だと思います。はてなブログ様ありがとう。

 

※上記の提案を実行して叱られても当ブログの筆者は責任をとれません。上記の提案を実行する際は自己責任でお願いいたします。

メルシャンのコンビニ限定シードル飲んでみた。おひとり様のデザートにオススメ。

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メルシャンの缶入りシードル。おしゃれ!

大きい画像で失礼します。今回ご紹介するのは「メルシャン おいしい酸化防止剤無添加ワイン シードル」シリーズ。長ったらしい商品名ですが、要するにスパークリングワインです。缶入りはコンビニ(主にセブンイレブン)限定なので注意。この商品はパッケージもおしゃれで可愛いのでぜひ見てほしい。上方で波打つ黄色い液体(中身)にみせかけた「Cidre」の文字。ガラス瓶をイメージしたのであろう緑色に果物のイラスト。そうだよ酒でもこれくらいスッキリしたパッケージデザインで十分なんだよ情報過多で美しくないパッケージデザインは滅びろ(シンプル主義者の過激派)

何度も言いますがパッケージデザインが気に入った食品は口に合うことが多い。あと、パッケージデザインがシンプルな食品はおいしい。したがって、シンプル至上主義者はシンプルなパッケージデザインのものを買えばおいしく食べられます。これは私の経験則なのでマジです。本品は290mlと少なめなので、一人暮らしの方でもたぶん一回で飲み切れます。ビールのショート缶より少ないのは親切設計ですね。お値段はどちらも298円+税。

さて、肝心の味なのですが。フツーにおいしいです。いかんせん甘い酒なので、フルーツビールと同様に「飯に合わないのでは」と思いながら飲んだのですが。デザートとして飲むとおいしい。以下、それぞれの感想です。

 

グレープフルーツシードル:ワインだがアルコール度数はわずか4%で甘くない。むしろすっぱくて後味がかすかに苦い。チキンカツやエビフライなど、レモンをかけて食べる料理に合いそう。グレープフルーツの味はアルコールで薄まっているので、グレープフルーツ好きは素直にグレープフルーツジュースを飲んだほうがいいかも。すっぱくてすっきりしていて度数が低いお酒をお探しの方にはオススメ。

 

りんごシードル:ワインだがアルコール度数はわずか5%でフルーツビールのような味がする。りんごの味はアルコールで薄まっているが少し甘い。りんごのすりおろしをかけて食べる料理(ヤキトリ?)には合うかもしれないが、どちらかというと食後のデザートにオススメ。ヨーグルトに合いそう。

 

以上。「メルシャン おいしい酸化防止剤無添加ワイン シードル」シリーズをご紹介しました。巣ごもりで家飲みが増えている方にオススメ。

オタクじゃない人もフィクションの世界で生きている!? 『ヒトの目、驚異の進化』

お題「読書日和」

 

目次 

 

 今回はマーク・チャンギジー著、柴田裕之訳『ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)をご紹介したいと思います。本書は早川書房から2020年3月に出ています。

 私がこの本を読んでもっとも感動したことは、オタクじゃない人でも(ある意味では)フィクションの世界で生活していることを教えてくれたことでした。しかし急にこう言われてもよくわからないと思うので、私の言葉でざっと説明していきます。

 人間に限らず、視覚を持つすべての動物は、その種が生きるのに役立つように世界を見ています。犬や猫は赤色がわからないことや、昆虫と人間では花の色の見え方がちがうことは有名です。その種にとって不要な色は見えず、必要な色は見える。つまり、生物はあるがままの世界を見ているわけではないのです。ここまでは私でもうっすらと気づいていました。私を驚かせたのはこの先です。本書では、人間の視覚について、3つのフィクションがあることを教えてくれます。以下、順に解説していきます。

 

色の見え方というフィクション

 まずは、色の見え方というフィクションについて。著者は、人間の色覚は人間の肌色の変化を見るために進化したという説を提唱します。たとえば赤面した人を見て怒っている(または恥ずかしがっている)ことを読み取ったり、酸欠や病気になっている人の変色した肌を見て相手の健康状態を知ったりして、私たちが社会生活を営むために、私たち人間の色覚は進化したのである、というのが著者の主張です。

 続いて著者は、P93「飛び散る色」でこう言います。

酵素飽和度の高い肌のための赤は、夕焼けやルビーやテントウムシにも飛び散る。こうした赤の例は、気まぐれな偶然にすぎない。

まるで、肌用の特殊な眼鏡が私たちの目を覆うように縫い付けられてしまったかのようで、その眼鏡は、周りの人たちの内面生活を見る役には立っても、非社会的な世界については、私たちに誤解を与えかねない(たとえば私たちは、夕焼けとルビーとテントウムシには何か客観的に似ているものがあると、誤って思い込むかもしれない)。

 以上、本書「飛び散る色」P95、P96より

 

 赤色が見える他の動物、たとえば鳥と人間が同時に夕焼けを見たとしても、空の色が同じに見えるとは限らない。生物はその種がもっとも見るべきもの「X」を見るために色覚を進化させてきたので、その色覚に則って世界を見ている。だから、構成物質が異なる、まったくちがう物体を見ても似た色に見えてしまうことがあるというのです。著者は、この、似ていない物体が似た色に見えてしまう現象を指して「飛び散る色」と表現しています。そしてこの「飛び散る色」現象は無用のフィクションだと言います。人間の色覚を、肌色を見ることに最適化した結果の副作用のようなものでしょうか。私たちは副作用で色を見ていたのだという驚きがありました。

 

視点の位置というフィクション

 続いて、視点の位置というフィクションについて。私たち人間に限らず、2つの目を持つ動物はたくさんいます。目が頭の横についていようが、頭の正面についていようが、目が2つであることは変わりません。では、どうして多くの動物は2つの目を持っているのでしょうか。この疑問に対して、今までは物を立体的に見るため、立体視をするためだと考えられてきました。しかし、著者はこの説に反対します。著者は、多くの動物が2つの目を持つのは立体視のためではなく透視のためだと主張します。目が1つしかないと、自分の鼻やクチバシなど、顔の正面に突き出た部分で視界が遮られてしまいます。この問題の解決策として自然が出した答えは、2つの目を持ち、それぞれの目で見えている視界を統合することで自分の身体を透かし見るという方法でした。こうすれば、自分の鼻やクチバシで視界が遮られることはありません。このために私たちは、目は2つなのに見える外界(映像)は1つだけというフィクションの中で暮らすことになったのだ、というのが著者の主張です。

 著者は人間の知覚(視点の位置)は、実際に目が位置している場所ではなく「両目の真ん中、鼻の上部から少し奥に入ったところ」であることを指摘します。ではなぜ、人間はこのような、不正確な知覚で生きていくことになったのでしょうか。著者は、その理由を、その方が(透視ができたりして)生きるのに役立つからだとしています。著者はコンピュータのデスクトップ画面を例に出し、あれはコンピュータの内部を正確に表しているわけではなく、コンピュータのデスクトップ画面があのような外見になっているのは(その方がユーザーにとってわかりやすいので)役に立つからだと指摘します。そして、私たちの知覚も同じだと言います。

同じように、私たちの視知覚も役に立つから進化したのであり、目の前の世界を忠実に表すからではない(あるいは、現に外界を正確に表すことがあれば、それはその表象が役に立つからだ)。もし私たちの脳が、それぞれの目から送られてくる二つの違った映像をそのまま受け入れて満足できるのなら、フィクションなど必要ないだろう。それなのに、そもそも実在しない、統合された単一の映像を脳が好むとすれば、脳は「フィクションで行く」決定をしたのだ。なにしろ、二つの本物の映像を無理やりまとめて単一の映像にしたら、でき上がった映像は本物とは言えない。だから、私たちの知覚は、今述べた点ではフィクションだ。

 以上、同書「三人称自己観察装置」P115~P116より

 

 なんということでしょうか。著者の説に従えば私たちは、自分の身体を透かし見るという利便性と、統合された、たった一つの視界というわかりやすさを得たために、世界を忠実に見ていない、ということになります。私たちの視覚は色の見え方に加えて、視点の位置までもがフィクションだったのです。このフィクションを生み出すために私たちは目を2つ持つように進化しました。人間どころか、目が2つの動物はみんな、このフィクションの中で生きているフィクション仲間というわけですね。今は亡き私の愛猫も、猫用フィクションの中で暮らしていた、と考えると感慨深いです。

 

現在というフィクション

 最後に「現在」というフィクションについて。今までは目を持つ動物すべてに当てはまる指摘でしたが、ここからは人間だけの話になります。私は本書の指摘の中でこれに一番驚きました。著者によると私たち人間の脳はまさに今現在を直接知覚しているわけではなく、実は0.1秒後の未来予測をしつづけることで、結果的に現在を見ているというのです。

視覚系が光を受けてそれを視知覚に転換するのに、どれだけの時間がかかるのだろう? 答えは約〇・一秒だ。もし私たちがたんに、網膜が光を受けたときにそこにあるものについての知覚を生み出すのだとしたら、知覚は発生時の〇・一秒前の過去の世界のさまを示していることになる。

以上、同書「時の刃を鈍らせる」P190~P191より

 著者は、この0.1秒の差を甘くみるべきではないとしています。秒速1mで歩くとしたら、0.1秒では10cm進むことになる。そうなると、10cm以内にあるものを知覚した時にはそれにぶつかっているか通り過ぎている。飛んでくるボールをキャッチする場合なら、見た目ではボールはまだ手に届いていないのに、実際にはすでにボールは顔面にぶつかっている、ということになる。どちらにせよケガをすることになりそうです。私たちは未来予測をしつづけることでケガや事故を予防しているらしい。視覚系から来た情報を処理するのにタイムラグがあるのは当然といえば当然ですが、改めて、私たちが見ているのは真の現在ではないと指摘されたのでとドキッとしました。私たちはみな、未来予知という超能力者ばりのことを日常的に行うことで世界を見ていたのですね。

 

3つのフィクションまとめ

・色の見え方はフィクション

私たちは自分たちの肌色の変化を見るために進化したので、夕焼けとルビーと(ナナホシテントウムシが似たような色に見えるのは偶然。

 

・視点の位置もフィクション

私たちは透視能力を得るために進化したので、実在しない視点で外界を見ることになった。

 

・「現在」もある意味ではフィクション

私たちの視覚系の処理には0.1秒かかるので、未来予測をしないと0.1秒前の過去しか見られない。だから私たちは0.1秒後の未来を予測することで、結果的に現在を見ている。

 

 要するに、人間は3重のフィクションでできた世界を見ている。この点はオタクも非オタクも同じ。だから、フィクションばかり好んで消費することをバカにする奴に絡まれたらそいつに言ってやりましょう。

「うっせぇ! どうせてめえもフィクションの中で生きてんだぞ! ウソだと思うならこれを読め!

 

以上。『ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)をご紹介しました。全人類にこれを読ませればオタクと非オタクとの溝が少し狭くなるかもしれません。