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今回、ご紹介するのは、モーリス・メーテルリンク作『青い鳥』。
以下、リンクを兼ねた画像です。
実はこの作品、童話でも小説でもなく戯曲なんですよね。
恥ずかしながら私は今回、初めて知ったんですが。
新潮文庫の夏の100冊フェアの冊子に限定プレミアムカバーが載っていたので
買ってみました。上の画像と違い、青い無地のカバーが大人っぽくてステキ。
たしか、サンリオでキキとララがチルチルとミチルを演じている
劇場版アニメがあったんですよ。調べてみたら、「キキとララの青い鳥」っていう、
そのまんまのタイトルらしいんですけど。詳しくは以下のリンクからどうぞ。
「青い鳥」は元から有名だし、この映画の原作だから、この機会に読んでみようと思いまして。いざ読んでみたら、色々とつっこみどころがあっておもしろかったです。
戯曲「青い鳥」のあらすじ
兄・チルチルと妹・ミチルは、貧しい木こりの子供。あるクリスマスイブの日、二人は家の窓から、向かいの家の豪華なクリスマスパーティを見ていた。二人が向かいの家のクリスマスパーティの豪華さをうらやましがっていると、急に妖女のベリリウンヌが訪ねてくる。
驚いている二人に構わず、妖女はチルチルに「この家に青い鳥はいないか」ときく。チルチルが「いない」と答えると、妖女は二人に「私の娘のために、青い鳥を探しに行け」と言った。
妖女がチルチルにくれたのは、大きなダイヤがついた青い帽子だった。このダイヤをひねれば物の真の姿が見えるし、過去や未来にも行けるという。
二人は、魔法のダイヤの力で動きだしたお供たちとともに、青い鳥を探しに旅立った。二人はどこで青い鳥をみつけるのか。
戯曲「青い鳥」へのつっこみ
まず、つっこみどころを箇条書きにします。
・かあさんチル、とうさんチルという役名がある。チルって名字なの!?
・お供は多いが、光とイヌとネコ以外は活躍しない。
・なぜか、お供たちは旅が終わると死ぬことになっている。
・母の愛の喜びは登場するが、父の愛の喜びは登場しない。
・実はSFなの!? 九遊星の王が登場する。
大きく分けると以上です。それでは、上から順に解説していきます。
かあさんチル、とうさんチルという役名がある。驚き。
かあさんチル・とうさんチルという役名について。正直な話、本書を読んで一番びっくりしたのはこの部分です。新潮文庫版ではP11~P15に登場人物の一覧があるのですが、そこに、かあさんチル・とうさんチル・おばあさんチル・おじいさんチルという役名があります。このことから、「チル」というのは「ムーミン」みたいなもので、一つの家系または種族を表していると考えれらます。もしかしたらチルチル・ミチルは、親の職業が木こりなだけで、本当は人間ではなく「チル」という妖精なのかもしれません。チルチルはチル・チル、つまりチル一族の跡取りであることを表す名前なのかもしれない。ミチルはミ・チルで、一族の名「チル」に「ミ」という女性を表す語がついて、「女性のチル」という意味なのかもしれません。
旅のお供が多すぎる。食物の精はいらないよね。
次に、旅のお供が多すぎる件について。チルチルとミチルの旅に同行するメンバーをあげると、パン・火・イヌ・ネコ・水・牛乳・砂糖・光 という8名です。ここにチルチル・ミチルを加えると、旅の一行は総勢10名に。お供、多すぎ! 十人は妖女ベリリウンヌの家で着替えてから出発します。光とイヌとネコ以外はこの家に置いていけばよかったと思うのですが。兄妹が旅から帰ったあとで、チルチル・ミチルの家で合流すればよかったのでは。牛乳ちゃんに至っては、第十一場「お別れ」ではセリフが一つもないのですよ! 作者に存在を忘れられてしまったのでは。影が薄すぎる。食べ物の精たちは全員いらなかったと思います。
光とイヌとネコの活躍
では、光とイヌとネコはどんな活躍をするのか。光は妖女ベリリウンヌから引率者に任命されます。学校の先生みたいに、みんなを案内していくのです。チルチル・ミチルに、今いるのはどんな所か、何をしなくてはいけないかを教えてくれます。
イヌとネコの見せ場は第五場「森」でしょう。ネコは死にたくないので、なんとか二人の旅をやめさせようと、森の木々と動物たちをそそのかして、二人を殺そうとします。このあたりの自己中心的な策略はかなり猫っぽくて好きです。
この「森」でそそのかされた動物たちのなかにはオオカミもいました。オオカミがチルチルの後ろから跳びかかり、チルチルを引き倒しそうになって、戦いが始まります。チルチルはナイフを振り回し、イヌといっしょに必死でミチルを守りました。
この戦いを終わらせたのは光でした。光がやってくるとみんな恐がって逃げて行きます。チルチルは光に言われた通り、帽子のダイヤを回しました。すると、木々の精と動物たちは元の姿に戻りました。
森の住民たちをそそのかしたネコはこの戦いの間、ずっと隠れていたようです。戦いが終わった時に、足をひきずってケガしたフリをして、藪のなかから出てきます。イヌにはお見通しですが、ミチルはだまされました。
お供たちは旅が終わると死ぬ? ネタバレ注意!
ネコがチルチルとミチルの旅が邪魔するのは、この旅が終わったら自分たちは死んでしまうと妖女ベリリウンヌに言われているからです。この残酷な設定は、サンリオ映画版にはなかったのでは。記憶はあいまいですが。
後日訂正:サンリオ版を確認したところ、やはりこの設定はありませんでした。
ネコは懸命に旅の邪魔をします。しかし、第十一場「お別れ」では死ぬシーンは描かれません。光が「わたしたちはまた沈黙の中に帰って、もう子供たちと話すことはできなくなるのですよ」*1と言うだけです。
泣く泣くみんなと家の前で別れたチルチルとミチルが、クリスマスの朝にベッドで目を覚ますと、何もかもが元通り。食べ物は動いたりしゃべったりしなくなっています。そして、イヌもネコも元気です。死んでない! 妖女ベリリウンヌが言ったことはウソだったのでしょうか? 「死ぬ」というのは会話できなくなるという程度の意味だったのでしょうか。だとしたら、ずいぶんと大げさな言い方をしたものです。妖女ベリリウンヌが「みんな死ぬ」なんて言わなかったら、ネコは邪魔しなかったのに。まったく、人騒がせなおばあさんですね。
「母の愛の喜び」は登場したけど、「父の愛の喜び」は登場しなかった。
チルチルとミチルは旅の後半で「幸福の花園」に立ち寄ります。そこで、お母さんに顔や手や声がそっくりだけど、お母さんよりもずっとキレイな女性に出会います。その人は、お母さんの「母の愛の喜び」だというのです。
このシーンは初読だとうっかり感動してしまいますが、よく考えると「父の愛の喜び」だって登場するべきなのではないでしょうか。しかし、「父の愛の喜び」は登場しないのです。お父さんは子どもたちを愛していないのだろうか。そんなわけはないと思いますが、「幸福の花園」で姿形を持つほど強くはないのでしょう。父の愛はきっと、母の愛よりも控えめなんですね。それはそれで健全なのかもしれません。「幸福の花園」にいる幸福たちって、「これを幸福だと思え」と言っているような気がして、ちょっと押し付けがましい。私だったら素直に言う事を聞けないタイプの人たちです。幸福さんたちに、「幸福」は人の数だけあるんだってことを教えてあげたい。あんたらだけが人間の「幸福」じゃないんですよって。
実はSFなの!? 九遊星の王が登場する。
第十場「未来の王国」では、これから生まれる子どもたちが、自分の番が来るのを待っています。子どもたちは手ぶらで地上に降りることはできません。必ず何かを持っていかなかればならないのです。
チルチルとミチルは、子供たちが地上に持っていく、すばらしい発明品を次々に見せられます。そのなかで紹介されたのが、自称「九遊星の王」です。その男の子は、「太陽系の遊星の総同盟をつくるんだ」*2と言います。実にSFチックです。「青い鳥」にこんなセリフがあるとは知りませんでした。現役の木こりがいる時代に「九遊星の王」だと!? いや、待て。同じ時代に生まれるとは限らない。この子はきっと、かなり未来に生まれるんだ。そうに違いない!
おわりに。いっぺん読んでみ?
個人主義の私からするとちょっとつっこみたくなる部分もありましたが、やはり名作です。フェミニストの方が怒りそうな部分もありますが、巻末には「差別的表現ととられかねない個所もあるが、文学性・芸術性に鑑み、原文通りとした」旨が書かれています。さて、あなたならどこにつっこみを入れるでしょうか。
以上。つっこみどころを探しながら読むと楽しい名作『青い鳥』を解説しました。
蛇足:本記事で200記事を達成しました。まだまだ、がんばります!
サンリオ映画版について書いた記事はこちら(⇩)