ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

「575」で思い出すのは学級日誌なんだけど通じる?

今週のお題「575」

 

こんにちは。いつも俳句と短歌がごっちゃになる*1ミーシックスです。私が「575」で思い浮かべるのはわび・さびじゃなくて学級日誌なんだけど、この感覚って通じます? たしか中学の学級日誌だったんですけど、なぜか「今日の一句」って欄があったんですよね。で、当時から疑問に思ってたんですよ。「毎日変わりばえしない授業受けてるのに今日の一句なんてどうやって書けっていうの?」って。読書感想文は百歩ゆずって「読んでる人が楽しい」ってメリットがあるとして、学級日誌の今日の一句なんか読んで誰にどんな得があるわけ? この欄を設けた人はいったい何を考えていたの? 書くほう(生徒)は毎日無理やり書かないといけないし、読むほう(教員)は毒にも薬にもならない、仕方なくテキトーに書かれた一句を読まされるのよ? 誰になんの得があると思ったのか教えてほしいですよホント。学級日誌なんだから必要最低限のことだけ書かせろよ。不要な文化の香りをさせるんじゃねえ。こんな欄を設けなくても短歌や俳句が好きなやつは勝手に詠むし、興味ないやつはむしろ嫌いになるだけなんだっての。読書感想文と同じこと言わせるんじゃねえよ。これだから短歌・俳句の印象はずっと悪いままだったんですよね。この不快な記憶のせいで。私のこの嫌悪感を消してくれたのは穂村弘さんだったんですが。穂村さんを知ったきっかけは忘れたんですけど、とにかく著作を1冊読んでみようと図書館へ。で、何か借りてみたのは覚えてるんですけど…どれを借りたんだろう。たぶん『現実入門』だな。タイトルにインパクトがあったし、私も同い年の他人に比べると人生経験値がかなり少ないと自負しており親近感がわいたので読んでみました。穂村さんが人生初の相撲観戦をしたってことだけ覚えてるな。あとは忘れてしまいましたが(笑) 多少不快な思い出があってもそれを払拭するぐらい素晴らしいものに出会えれば印象を良くすることは可能だってことですね。学級日誌を罵ってごめんなさい。正直なところ今でも学級日誌の「今日の一句」欄の存在にはまったく納得してないけど、いかに無意味に思えても罵るのはよくなかった。反省。反省したので生産的な提案をしよう。学級日誌の「今日の一句」欄を…いや、あらゆる「今日の〇〇」欄を廃止しよう。そして「本日のトラブル」欄を導入して何かトラブルが起きた時だけ記入させよう。こうすれば何も起きなかった平和な日は「特になし」と書くだけでいい。我ながら完璧な提案だと思うんですがどうですかね教育委員会さま。いや、わかるよ? 学級日誌は誰が読んでもつまらんから、どこか一点ぐらいおもしろくないと読む気がしないのはわかるよ? でもさ、だからってさ、生徒に強制的に書かせて俳句の印象を悪くするのはやめようよ。俳句にも迷惑だと思うし。日本の伝統文化を犠牲にするぐらいなら、先生が学級日誌のつまらなさに耐えてください。お願いします。俳句は…俳句は悪くないからっ。

*1:今でもごっちゃになってるのでこの機に調べてみたら、短いほう(575)が俳句で、長いほう(57577)が短歌でした。短歌の「短」という字に引っぱられて、つい短歌のほうが短いと思ってしまう。我ながら日本人失格な気がしますがわからなくなったらまた調べよう。