ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

植物学者が書く生物エッセイ『生き物の死にざま』は昆虫に力が入ってる。

地震対策に半信半疑で食器棚の滑り止めシートを買うついでに漫画の新刊も買い、さらについでに買ったのが『生き物の死にざま』という本です。なんでまたついでのついでに買ったのかというと、Amazonで送料無料になる最低注文金額が「3500円以上」に値上がりしたからです。これは困った。いっそのこと1冊で3500円以上する本を注文するという手もありますが、2000円時代のように何点か抱き合わせて、合計金額が送料無料になるギリギリになるのを目指すのがちょっとした娯楽でした。あの頃の感覚を忘れたくない。何かないか、あと1500円分…と考えながらほしいものリストをスクロールしていたら『生物の死にざま』を思い出しました(⇩)

www.soshisha.com

金額もドンピシャだし、生物ネタなら家族も読むかもしれないと購入。結果的に割と当たりでした。図鑑など、生態(生き様)を描写する書物は無数にありますが、死に様に焦点を当てた本はそう多くないでしょう。日本語では「生物」を「いきもの」とも呼ぶように、人間はどうしても動物の生き方に注目してしまいます。しかし本来、生は死を含むものです。独身主義者がおらず、すべての個体が疑問なく繁殖する野生界において「繁殖」には親世代の死も含まれています。親世代がだらだらと生き続けていると、子孫の分まで資源を消費してしまうからかもしれません。先進国で暮らしている人間だと自分が初老にならないと親が死なないので、親というのは人生の大半を共に過ごすものだと思っていますが、野生界ではそうではありません。人間に限らず哺乳類だと、孫が生まれるまで生き続けたりしますが、おそらくこれは哺乳類ぐらいの話なのでしょう。昆虫や魚類では、繁殖を終えた親世代は子を見ることなく死ぬのです。生死のサイクルが短い種においては、親の死に様も大切なこと。この観点からすると、むしろ死に様こそ語られる価値があるというものでしょう。ただし、本書で語られるのは、遺伝子にプログラムされた死、いわゆる自然死だけではありません。捕食者に食われたり人間に殺されたりする様子も書かれています。特に「4」のアカイエカの章を読んでいると、アカイエカの行動(家屋に浸入➡密かに吸血➡家屋から脱出)の臨場感とともに、蚊を叩き殺すことへの罪悪感がわいてきます。野生界においてはそもそも命がけでない行動、絶対に安全な行動などないことを思い知らされました。初読時は、アカイエカの章だけたまたま筆がのって小説風になったのかと思いましたが、読み返して気づきました。どうやらこの著者、哺乳類よりも昆虫のほうがお好きなようです。昆虫以外の生物は、どちらかというと生き様を解説する文章になっており、ちょっとしたエッセイという印象。これに対して、昆虫の章では昆虫の視点で見た世界が書かれており、昆虫が擬人化されている印象を受けます。小説というと大げさですが、少し文学の香りがするのです。私が一番好きなのは「23」ジョロウグモの章。

天気予報は、週末の寒波の到来を告げていた。

『生物の死にざま』p170  ジョロウグモより

この一文で、主人公たるメスのジョロウグモ「彼女」の運命を予感させる。しかもこれは最後の一文なのです。この手法は明らかに小説のもの。植物学者の著者にとっては、ただ草を食むだけのシマウマよりも、時に受粉を助け、時に草の汁を吸う虫たちのほうに親近感を持っている様子。もういっそ、この文体で昆虫のことだけを書いた『虫の死にざま』を書いてほしいぐらいです。昆虫文学界を覗き見た気分になれました。虫の章だけでも読んでよかった。

 

以上、植物学者が書く生物エッセイ『生き物の死にざま』読んでみたら昆虫に力が入ってた件でした。虫好きの方はぜひ。文庫化もしてますよ(⇩)

www.soshisha.com