ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

高校を卒業した日、初めて友達をお茶に誘った。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 2月の卒業式。私立だから早いのか高校だから早いのか知らないが、とにかく中学の時よりも一か月ほど早く高校を卒業した私はその日、進学して初めて友人をお茶に誘った。それも中学からの友人を。

 同級生と教員の方々には申し訳ないが私は高校を人生の通過点だと捉えており、思い出らしい思い出がつくれるとはまったく思っていなかったし友人らしい友人をつくる努力もしなかったので、部活以外で良い思い出がない。そのため高校生活にはなんの未練もない。だから卒業式の日にお茶へ誘ったのは中学年来の友人だった。いつでも彼女から誘ってもらっていて、放課後にはお互いの通学定期内で降りられる駅の中で一番都会の駅を選んで落ち合い、お茶をして駄弁って帰るのが常だった。

 私だって部活はしていたのだが、彼女のほうが私よりも忙しいだろうと思っていつも遠慮していた。当時の私は誰かに誘われると嬉しいという感情が希薄で、断る理由がない場合はOKするというスタンスだったので、自分から他人を誘わなかった。私にとって何かに誘われることは基本的に煩わしいことで、相手もそうだろうと思うから、相手がヒマな時に自主的に連絡してくれたほうがありがたい。連絡してくれたということは、相手は今日、確実に私に会いたいのだから。相手の意思がはっきりしている時にしか、私は人に会いたくない。

 そんな私が珍しく自分からお茶に誘ったのである。実は家が近かった私たちは、いつもお茶をする駅ではなく地元のカフェ(チェーン店)で会った。

「珍しいね、そっちから誘ってくれるなんて」

「うん。なんせ今日、卒業式だったもんで。会いたくなって」

 私は言えなかった。実は学校と家を往復しているのが精一杯で、学校と家庭生活でキャパシティのほとんどを使い果たしている私は放課後に他人から誘われることは煩わしくて、あなたから誘われるのも嬉しい半分めんどくさい半分だったなんて本人を目の前にしては口が裂けても言えなかった。

「ああ。それで」

「そう、それで」

 私は認めたくなかったが、認めるしかなかった。他人から誘われると煩わしいと思っていながら、人生の節目ぐらい友人に会いたいと思っている自分の普通さを。十代の子にはありがちなことに漠然と「普通」はカッコ悪いと思っていた私はこの日、普通でもいいやと思えるようになった。普通じゃないことを目指すと、素直に友人を誘えないから。それなら私はもう普通でいい。日本からコロナが去って彼女を遠慮なく誘える日が戻るのが待ち遠しい。