ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

ジブリのリバイバル上映もう観た? 私は3作ハシゴしてやったぜ!(もののけ姫➡風の谷のナウシカ➡千と千尋の神隠)

最初はどこで読んだんだっけかなあ。忘れちゃったけどとにかく「6月26日(金)から、ジブリの過去作品4作を映画館で上映する」って内容のニュース(⇩)を読みまして。

http://www.ghibli.jp/info/013278/

 

ビデオテープでしか観たことがない古の作品が映画館で観られるだと? これはもう観に行くしかないだろ。ということで、ユナイテッドシネマが窓口での上映日2日前からのチケット販売を再開していたのをいいことに前日にチケットを買って席を確保。当日(公開初日)、一気に3作観るという暴挙に出ました(笑) 内容はほぼ憶えてるから疲れて観ても大丈夫とか思ったわけではなく。ジブリの名作なら疲れも吹き飛んで没頭できるだろうと思ったからです。

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3作ハシゴした証拠のチケット写真。家バレ防止のため支店名は塗りつぶし。

千と千尋神隠』は映画館で観た世代なのでチケットを見てもそこまで感動しませんが、『もののけ姫』と『風の谷のナウシカ』は初めて映画館で観るのでチケットの存在自体に感動。まさかこのタイトルが印刷されたチケットをゲットできるとは。ありがとうジブリ。ありがとうユナイテッドシネマ。もののけ姫の終わり➡ナウシカの始まりの間が35分ぐらいしかなくてメシを食う時間がなく、ナウシカを観終わる頃には腹ペコだったけど千と千尋が始まるまでの間の1時間弱で急いでメシを食って3番スクリーン前に走っていったのもいい思い出になったよ。観たことある映画って安心して観られていいね! ストーリーはだいたい憶えてるから、今はどのへんなのか(もう半分だとか、あと少しとか)わかっていい。イライラすることも眠くなることもない。最高。

ということで以下、3作観た感想をお送りします。

 

もののけ姫

子供の頃は無邪気にアシタカとサンを応援し、美しい背景を見ているだけでたいした感想は持っていなかった。大人になってから観ると自然と人間の対立が大げさに描かれすぎだとか、自然が美化されすぎだとか、アシタカは天然の女たらしだとか、ジコ坊と話した後にエボシ御前が離れるシーンで背景の牛と牛飼いが静止しているとか、シシ神さまって守り神呼ばわりされてるけどご本人にそんな自覚なさそうとか、エボシ御前が主導してタタラ場が再建されたらまた森と対立しそうだから結局なにも解決してないとか思って素直に感動できない。宮崎監督はたぶん田舎の出身じゃないなと思ってあとで調べてみたら東京出身で納得。道理で自然賛美されてるわけだ。人間だって動物の1種だというのに、本作では人間が森の住民からえらく敵視されている。アリ塚も鳥の巣もタタラ場も似たようなものだろうに。乙事主は自分の一族が小さくバカになりつつあることを嘆く。このままではただの肉として狩られるようになるだろうと言う。さも不満があるかのように。しかしそれこそが弱肉強食ではないのか。脳みそだって臓器なのだから、知能だって身体能力のひとつである。人間が頭を使って森に勝つならそれも認めるべきだと思うのだが、自前の爪と牙で戦う連中はそれが気に食わないらしい。乙事主は猪たちの頭なのに心が狭い。一方でシシ神は乙事主が指揮する人間との戦いに関与しない。シシ神はタタリ神になりかけた乙事主の命を吸い取り、月に向かって首を伸ばして変身しようとする。作中ではずっと無言。我関せず。たぶん自分が守り神と呼ばれていることも知らないというかどうでもいいのだろう。この超然とした態度がいい。もしかしたら意外と低知能でなにもわかってないだけかもしれないが。こういう視点は無批判な子供の頃にはなかった。サンが少しずつ装束をなくして人間らしい姿になっていくのは、サンが自分を受け入れる過程、心の変化を表しているのかもしれない、とか。それとは逆に、アシタカが装束をなくしていくのは里の者から森の者に近づく過程を表しているのかもしれない、とか。深読みしたり批判的になったりできるのも大人の醍醐味だと思う。

 

風の谷のナウシカ

スタジオ・ジブリの第1作である本作では、人間の自然破壊の尻ぬぐいをしてくれる親切な自然が描かれる。人類は腐海に多くの土地を奪われて滅亡の危機に瀕しているのに戦争をしており、大人になってから観ると「この期に及んでなにをやってるんだこいつら」と呆れる。子供の頃はやはりナウシカを応援しているだけだったが、今では自己中心的な指導者たちに腹が立つ。特に「王蟲の幼生を囮にしよう」と提案した奴に。王蟲たちからすれば人間同士の争いなど知ったことではないのに、何もわからない幼生を捕まえて杭を突き刺して運ぶとは惨い。異種族に迷惑をかけまくって繁栄したのが人類だし、私だって自然破壊の恩恵を受けているから偉そうなことは言えないが、この作戦の発案者だけは死ぬべきだろう。あと、王蟲の大群を見て「こんなデカい虫をこんなにたくさん養えるだけの養分があるとか腐海広すぎ。というか王蟲ってなにを食ってるんだ」と思う。原作の漫画を読むと真にやばいのは王蟲の突進による都市の滅亡ではなく、ある菌の増殖による自然環境の激変であることがわかり、デカいだけの王蟲がかわいく思えてくる。基本的に映画は『風の谷のナウシカ』の世界観を伝えているだけだ。どのキャラクターも漫画版の方が魅力的である。トルメキア勢が好きな方は漫画版を読むことをおすすめする。ナウシカの母性は留まることを知らず巨神兵にも名を与え*1、捕らわれのクシャナは大暴れして豪胆さをみせつけ*2、クロトワは重傷を負いながらもクシャナの兄王子に小芝居をして強かさをみせてくれる*3クシャナの父であるトルメキアの王(ヴ王)もめちゃくちゃいい性格をしているので一読の価値はある。分厚さや重さや値段が恐ろしいという方は図書館の蔵書を検索してみよう。私は学生時代に図書館で借りて読んでおいてよかったと思う。

 

千と千尋神隠

水まみれの背景が美しいし、音楽もいい。私にしては珍しくサントラを買った。世界観というかキャラクターのビジュアルが独特なので一見するととっつきにくい印象だが、実は比較的わかりやすいストーリーである。主人公の少女である千尋が、千という名の従業員として、湯婆婆が仕切る大きな湯屋で働く。そして、湯婆婆との賭けに勝って出ていき、豚に変えられていた両親といっしょに人間の世界に帰る。物語の筋は単純であるが、少しずつ湯屋に適応していく千尋を見ていると「成長しているなあ」と思う。子供なので適応が早いのである。大人だったらこうはいかないだろう。不法侵入したのは千尋たち一家なので千尋が働かされることには理不尽感がないのもいい。単純に千尋を応援していればいいだけだ。千尋が湯婆婆との賭けに勝って湯屋を出る時、従業員一同は大喜びして手を振り、笑顔で見送る。「みんな優しいね」と弟に言ったら「湯婆婆が嫌われてるだけでは」と一言。その可能性もある。人間の小娘が魔女を負かしたので気分がいいのかもしれない。湯婆婆はオクサレさまの前で鼻をつままないし、「お客様とて許せぬ」と言ってカオナシに気功弾的なものを撃って従業員を守ろうとしたりと、なかなかのプロ根性をみせてくれるのだが。あの湯屋は意外と給料が安くて休みがないのかしれない。本作で一番の謎は「坊」は湯婆婆の養子なのか実子なのかである。作中では説明されない。私は養子説をとりたい。千尋に出会って湯屋の外に出た坊と、湯屋で働いて強くなった千尋の将来が楽しみである。

 

以上。ジブリリバイバル上映で観た3作の感想でした。みんなも映画館で古き良きジブリ作品を観よう。

*1:徳間書店アニメージュコミックス7巻P33~34

*2:徳間書店アニメージュコミックス5巻P122~124

*3:徳間書店アニメージュコミックス4巻P70~71