ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

【ネタバレ注意】映画『JOKER』を観てジョーカーのにわかファンになったのでバットマンの翻訳版コミック買ってみた。

今週のお題「好きな漫画」

 

目次

 

今回の記事はタイトルそのまんまの内容をお送りしよう。今年の映画『JOKER』を観てジョーカー氏のにわかファンになった。ジョーカーは2008年の映画『ダークナイト』に登場していた時から気になっていて、当時はウィキペディアなんかで基本情報を調べたりしていたが。今年になってpixivなどでファンアートを見たり、あまつさえ翻訳版コミックを買うことになるとは思いもしなかった。ざっと調べたところ、ジョーカーは一話で消える予定のキャラクターだったが作者の気が変わって作中で生き延び、バットマンシリーズ最大の宿敵になったのだとか。もうこの時点でジョーカーに現実が侵食されているような気がする。ジョーカーが作者の夢に出てきて「おれ様を死なせるだあ? バカ言ってんじゃねえよ。おれがこの程度で死ぬわけねえだろうが。おれとバッツは永遠に遊ぶんだ! わかったらさっさと結末を書き換えな!」なんて言ったのではないかと。ありえそうな気がしないだろうか? バットマンシリーズは2019年現在で80周年らしいが。80年も続くコンテンツってすごいんじゃないか? やはりジョーカーの呪いか。それにしてもアメコミはすごい。公式の版元からまるで2次創作みたいな説定と展開の作品がバンバン出版されている。天国のようだ。

ここからは私が買って読んだものの画像と感想をお送りしよう。

 

 『エンドゲーム』

 

ジョーカーによるゴッサムの破壊が描かれる一作。ジョーカーが自らバットマンとの別れを切り出すとは意外すぎる。喪服のような黒スーツを着たジョーカー。服装からして本気なのがわかる。カラースーツでも仮装でもないジョーカーは珍しく怖い。このコミックはとりあえず分厚い。分厚さに比例して長い物語なのでまだ自分の中で感想がまとまっていないが、アーカムの5人の患者がそれぞれ、自分がジョーカーから聞かされた「ジョーカーの正体」を精神科医に話すところは面白かった。そして精神科医が「ジョーカーの真実」を話して、ある意味では決着。先生が書いた本は無事に出版されるのか。

 

バットマン:ヨーロッパ』

アメコミについて少し調べると、正史(メインストーリー)の他に、ミニシリーズと呼ばれるパラレルワールドを舞台にした短編があることがわかったので、あらすじを読みながら好みのものを探したところ『バットマン:ヨーロッパ』を発見。バットマンがジョーカーと共闘する!? しかも舞台はゴッサムだけじゃない!? これは好みの予感! ということで迷わず購入。かくして私の人生初アメコミは『バットマン:ヨーロッパ』に。『バットマン:ヨーロッパ』を読んでよかったことは、ファンアートでよくある「Bad joke」「Bat joke?」の元ネタが知れたこと。海外でのカップリングタグ「Batjoke」もこれが元ネタなのか?

 

『喪われた絆』

表紙が怖すぎて買うのを躊躇していたが『エンドゲーム』以前の事件も知りたくなったので、時系列的に中間の『真夜中の事件簿』をスルーして購入。ジョーカーがアーカムで大活躍するので買って損なし。勇気を出してよかった。「聖王のタペストリ」を現実で見てしまったら夢に出てきそうだが。悪夢を見そうな一件だった。

 

『ロング・ハロウィーン

個別記事を書くほどお気に入りの一作。魅力的すぎてうまく感想がまとめられないので、以下のリンク(⬇︎)から個別記事を参照のこと。

 

 

バットマンホワイトナイト

映画のパンフレットで紹介されていたので購入。シュッとした線で描かれているキャラデザ(特にトゥーフェイス)が私好みだったうえに内容が面白かった。ジョーカーが正気に返るというよりも、過剰投薬で人格が善悪に分裂して、善の人格がバットマンを追い詰めながら警察などの不正を暴きまくって街を浄化していく物語。この設定だけ聞いていると2次創作くさいが、高品質な絵と素敵な物語がついているので不満はない。公式が供給してくれるのならそれに越したことはないのだから。『ロング・ハロウィーン』よりも多くのヴィランが集まった会合の集合絵だとか。しかし、お互いに憎み合っていたはずなのに、用意された飲み物を無警戒に飲む『ホワイトナイト』のヴィランたちは実は仲がいいのでは。どうやって連絡をとったのか。よく考えれば連絡先を知っている時点でかなり仲良しではないか? そう考えると微笑ましい。『ホワイトナイト』はジョーカー(悪)とジャック(善)人格の入れ替わりを髪の色・髪型・瞳の色・肌の色で表現しており、同じ身体を使っていながらも非常に見分けやすくなっている。ホワイトナイト』のジョーカーはなぜかオッドアイ フェチシズムが刺激される! フルカラー万歳! 個人的にはジャックの目がオッドアイになっている、人格切り替わり中の状態が一番好き。本作の続編が無事に翻訳されたのでアマゾンで購入。

 

『ロング・ハロウィーン』の続編『ダークビクトリー』

あの世界線のデント氏がどうなったのか知りたかったのと、もっとティム・セイルさんの絵が観たいと思って購入。ジョーカーがたいして活躍しないのは残念だが、やっとペンギンにもセリフが与えられたしミスターフリーズが登場する。例の、トゥーフェイスがアイビーにキスされたがギルダへの愛が強すぎてフェロモンが効かなかったシーンも見られる。短編「バットマン:マッドネス」も読めたのでよかった。それにしても今作と前作のスケアクロウとマッドハッターは狂気が濃い。スケアクロウはほぼマザーグースの引用しかしゃべらないし、マッドハッターは「アリス」の引用でしか話さない。この印象で『ホワイトナイト』を読むと「マッドハッターが引用以外のことを話してる! かなり正気!」と思ってギャップを感じる。

 

バットマン:ウエディング』 

あらすじからは想像できないほど複雑な物語。まさかのタイムトラベルもので、私は初めて見る「ブースター・ゴールド」なんてキャラが出てくる。しかも一度はブルースの両親が生きている世界線が発生し、両親がいる幸せを享受していたブルースは自害する。2人の結婚以前の話が長い。しかも今作はバッドエンド。バットマンが勝たないとは珍しい。ジョーカーが結婚を阻止するべく教会でキャットウーマンを撃ち殺そうとするのは予想通りだが。それにしても今作のジョーカーは妙にフレンドリー。ゴッサムヴィランたちをファーストネームで呼んでいる。ちょっとかわいい。その前のバットマンとの会話のセリフまわしはさすが。今さっき自分で言ったことを忘れているのか、それとも自分がしたことを片っ端から忘れていくのか、ただ単にジョークを飛ばしまくっているだけなのか。判然としないのがいかにもジョーカーらしい。もしかしたら本人にもそのへんのことはわかってないのかもしれない。とりあえず、あの日に教会にいた市民の方々のご冥福をお祈りしよう。いくらゴッサムとはいえ名もなき一般人の結婚式があのジョーカーに襲撃されるとは誰も想像するまい。ゴッサム×結婚式×ジョーカー=虐殺であることがわかる一作。ゴッサムでは結婚式というかイベント全般が無理だと思う。ジョーカーがシャバにいる限りは。

 

バットマン:イヤーワン/イヤーツー』

バットマンの始まりも読んでおくべきだろうと思ってついに購入。巨大なコウモリに化けるという案を思いつくまでのブルースは街で一悶着起こす。いい歳した大人が正義感だけで動こうとするからだ。ブルースという人はバットマンになってようやくゴッサムになじんだのかもしれないが、2年目に出会った敵のリーパーが強すぎた。リーパーはこのミニシリーズだけで退場するにはもったいないほど魅力的なキャラ。信念というか美学があってしかも強い。リーパーには続投してほしかったところだが、続投したらしたでジョーカーに「ゴッサムに義賊は一人でいい」と言われて襲われそうである。ジョーカーvsリーパーという対戦も見てみたかったが、この時期だとジョーカーもまだ弱いか。今作で他に印象的だったのは、おなじみのヴィランたちが登場せず、ブルースの両親を殺した男ジョー・チルとの因縁にフォーカスしていること。ジョー・チルはNEW52の世界では生きていた。ジョー・チルは作品によって生き死にが異なっているようだ。本作のように死んでくれたほうが、ブルースとしては心安らかになれていいのではないか。本作のバットマンは少しだけ鈍い。偽リーパーの素顔を見て「ジョー・チルに似ている」と思わないとは。知らない顔だが、どことなく奴に似ている、ぐらいのことは言ってほしかった。この点は残念だが、息子が「ジョーイ・チル」と名乗ったことで偽リーパーの正体を察したらしい。両親を殺した本人は憎んでいても、その息子や孫のことは温かい目で見守ることができる。これこそバットマンだろう。

 

『ジョーカー:ラスト・ラフ』

脳に腫瘍がみつかり自分の死が近いことを悟ったジョーカーは世界を道連れにすることにした、というあらすじでジョーカー主体の内容らしいので読んでみたかったが、表紙のイラストから受ける印象に反してバットマンが活躍しないとのことだったのでスルーしていた作品。実際に読んでみるとジョーカーの収監先がアーカムじゃないわ、最後の戦いの相手はバットマンじゃないわで調子が狂う。本作を読むとゴッサムヴィランズはしょせん常人なのだと思い知らされる。ジョーカー以外のゴッサムヴィランズでセリフがあるのはスカーフェイスとキラークロックとミスターザーズだけだった。ゴッサムヴィランズはあくまでも病んでる常人なのであって超人ではない。スラブサイド刑務所を異次元に飛ばした割には尻すぼみな印象がある本作だが、ジョーカーがゴッサムヴィランズどころではない悪党を手下にして、ゴッサムだけでなく世界中に損害を与えまくる様は見ていて気分がいいので問題なし。たまには竜頭蛇尾の作品があってもいい。それにしてもバットマンはジョーカーの性格を熟知しているな。この人道主義者め!

 

『ダーク・プリンス・チャーミング』

 

DNA解析の結果アルフレッドが言った「不本意な結果」とは何を意味しているのか。アリーナのDNAは誰から継いだものなのか。真の答えを知るのはブルースとアルフレッドだけだが、ジョーカーがアリーナを自分の娘だと思っている限り、また生きて二人の前に現れるだろう。最終的にアリーナはブルースに保護されるが、さて。平和な思春期を過ごせるだろうか。ジョーカーが生きている限り、アリーナに恋人ができても片っ端から撃ち殺されそうな気がするのだが。そしていつか誰も寄り付かなくなり、アリーナはジョーカーの娘だという噂が流れ、友達も離れていき、学校で孤立したアリーナはジョーカーとの対決を余儀なくされるという展開の続編が読みたい。本作の10年後ぐらいの設定で。蛇足だと思われるかもしれないが。私は子供キャラを見ると大人の姿が見たくなるのだ。せめて18歳のアリーナが見たい。さらに欲を言えばゴッサム市警の制服を着たアリーナがジョーカーに手錠をかけてパトカーに乗せ、警察署に着くまでパトカーの中で「ジョーカー、私を覚えてる?」なんて会話するシーンが見たい。でもまあこれは私の勝手な願望なので置いておこう。何気なく初養子がディック➡︎アリーナという大改変が起きている気がするがまあいいか。正式な養子縁組はしておらず、ただ単に保護しているだけなのかもしれない。とりあえず、アリーナ、どうかお幸せに。

 

アーカムアサイラム』増補改訂版

見ての通りカバーイラストが怖いうえに読みにくい画風なので「バットマン」を初めて読む人にはおすすめしない。

ジョーカーのファンからすると本作で一番注目するべきなのは精神科医ルース・アダムスの

「私達と違ってジョーカーは、外界から受け取る知覚情報を制御していないみたいなのよ」(P41、6コマ目)

というセリフだろう。このセリフは次のページに続いているのだが、ここだけ読むとジョーカーはただのAIというか、周囲に対して自動的に応答しているだけで人格を創ってさえいないのではないかと思う。自分の姿が変わってしまったことを知った瞬間、もう二度とまともな人間として見られないことを悟り、それならば人間のように思考することをやめようと決意し、他人がみなす通りの道化師的な言動をしている。つまり常に計算され尽くした行動をしているとも考えられるのだ。それが「超正常な人間」という表現が意味するところではないだろうか。本作のジョーカーは、表情が変わらず仮面のようで現実味がない顔と、少し曲がった緑色の付け爪や関節のシワがある指が描かれた右手のリアルさのギャップが面白い。ジョーカーに限らず、本作では患者であるヴィランたちの方がはっきりと描かれ、黒々としたスーツのバットマンは暗い背景に半ば同化している。私にはバットマンがこのままアーカムの一部になるのが自然に思え、バットマンアーカムの外に戻るべき存在であることが信じられなくなった。これはジョーカーも思っていたことらしく、去りゆくバットマン

「辛くなった時にゃあ思い出せよ…お前の場所はいつでも用意してあるからよ」(P114、9コマ目)

と言う。うっかりするとジョーカーに同意してしまいそうになる危険な一作。 

 

『ハーリーン』

本作で描かれているのは、精神科医のドクター・クインゼルがハンサムで危険でどこか弱々しく見える魅力的な男、ジョーカーに溺れていく過程である。「まとも」ではないのに自己嫌悪に陥らず生きることは簡単ではないだろう。しかしゴッサムヴィラン達は易々とそれを実行している、自己肯定感の塊のような人物ばかりだ。この中から自分の理論に一致した患者をみつけることはできそうにない。そう思っていたドクター・クインゼルがジョーカーに会った時、ドクター・クインゼルは、この男は私の理論に合致する患者だと思った。「私なら彼を救える」と考えたドクター・クインゼルの使命感はいつしか恋心に変化していく。そして彼を守るために人を撃ち殺し、トゥーフェイスになったハービー・デントと同様に社会的な立場を完全に失う。かくして彼女の居場所は彼のそばだけになる。いつも満月が浮かぶ夜空を見て、ハーレイは、ここは夢の中だと思う。その「満月」はバットシグナルで、今見ている夜空は現実の景色であることからはあえて目を背ける。彼女が「夢」から覚めるのはいつになるだろうか。時に言葉で相手をからめとる狡猾な男ジョーカーと、「仕事」と「愛」の間で揺れ動き、「愛」を取ってしまった女ハーリーンの顛末が読める美麗な名作。ハンサムなジョーカーと美しいハーレイが見たい人にオススメの一作である。

  

『キラースマイル』

本作を読むと、ジョーカーと通常の人間における「現実」の捉え方のちがいを知ることになる。常人にとって「現実」とは、自分の外側にあるもの、迷宮の出口である。常人は狂気・幻覚という迷路から脱出して正気・現実というゴールに着くことを目指す。だから、常人はあるべき現実にたどり着くまでさまようことになる。これに対してジョーカーは、いつ・どこが現実なのかなど気に留めていないように見える。捕まれば脱走する。他のヴィランをみつければからかい、バットマンをみつければ挑発し、市民をみつけたら退屈しのぎに殺す。いつ・どの世界線だろうがジョーカーのすることは大して変わらない。もしかしたらジョーカーにとって「現実」とは自分で選ぶものなのかもしれない。そう決めてしまえば何が現実なのかと思い悩むことはなくなり、本作のようなぶれない人物になれるのだろう。どうやらこの世界線ではジョーカーが先に「ミスター・スマイル」という名で誕生しており、長じたブルースが後からバットマンになったようだ。ジョーカーとバットマンの発生順が逆転した世界らしいが、それでもあの二人がすることは、他の世界と変わらない。結局のところ決着がつくまで戦うのである。夢と現実を、正気と狂気を行き来しながら。「キラー・スマイル」の主人公、精神科医ベン・アーネルがどうなったのかは 、あなたの目で確かめてほしい。

 

バットマン:カース・オブ・ホワイトナイト

待望の『ホワイトナイト』の続編だがジョーカーとアズラエル以外のヴィランのファンにはおすすめしない。なぜなら前作で活躍(?)したおなじみのヴィランたちは本作でアズラエルの手にかかり、アーカムの狭い独房であっさりと殺されるからだ。アズラエルは近接戦闘も強いのでヴィランたちがフル装備で共闘しても各個撃破されていたかもしれないがここまであっけない最期にはならなかっただろう。あえて背中から刺されて己の胸から生える剣先をみつめているトゥーフェイスの死に様は気高くてすばらしいが。ついでに言うと前作で登場した「ネオ・ジョーカー」ことマリアン・ドリューズは完全に蚊帳の外で一コマたりとも登場しない。名前しか出てこないという不遇さである。おまけに本作はまさかの続き物。映画でよくある、ヒットしたからいっそ3部作にしようというやつだ。いっそ1作目で終わっていたほうが作品としては名作だったような気がするがこれは商業作品なのでいたしかたない。もとからゴッサムの謎とウェイン家の秘密に焦点を当てていた作品なのでそこまでズレた展開でもないことだし、ここまで来たからにはもうこの世界線を見守るしかない。ひとつ残念なのはヴィランたちが一掃されたことで、ジョーカーの子供たちを救う可能性のある人間が減ってしまったこと。ジョーカーに恩を売るためにジョーカーの子供たちを救うヴィラン、という展開は見られなくなってしまった。この点はかなり残念だ。さて。ジョーカーが言う「最後の大舞台で使う小道具」とは何か。これが判明するまで、彼は生きていることだろう。たとえ頭を撃たれても。

 

『スリー・ジョーカーズ』

P143最後のコマは、楽しむ悪魔/苦しむ人間を、あるいは笑う道化師/泣く男というジョーカーの二面性をひとつの顔と一言のセリフで表している秀逸な1コマなので必見。どのジョーカーが生き残るのか予想しながら読むという残酷な関心から始まり、バットマンの思慮深さと優しさで締められる一作。この世界線では、1人目のジョーカーが、ジョーカーを3人にまで増やしていた。人まねを嫌うであろう彼は、皮肉にもバットマンに似たことをしている。いや、もしかしたらバットマンの行動から着想を得たのかもしれない。それが「より良いジョーカーをつくる」という発想につながったのだろう。最終的にジョーカーは読者の予想どおり、1人だけになる。自分が1人目なのか2人目なのかは明かさないが。この世界線バットマンはジョーカーの本名を知っているという。しかし公表はしない。とある母子を守るために。今さら彼の家族が生きていることがわかったところでジョーカーが元の人間に戻ることはない。それに、今の彼はそれなりに安定している。下手に人間的な幸福なぞ与えようものなら次に何をするか読めなくなる。仮にあの母子に悪意を向けなかったとしても自分が捨てられたことを知って苦しむだけかもしれない。両者のためにも伏せておこう。この優しさは安定のバットマン思考である。そう、結局のところいつもどおりなのだ。バットマンが優しくて、おまえのほうがオレよりもおかしいのだというジョーカーの指摘に同意しないのも。ジョーカーが己の二面性から逃れられないのも。

 

以上。最近はバットマンシリーズを読んでいる件をお送りしました。