ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

祖母の家には物が多くて申し訳ない。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

父方の祖父は私が生まれる前に死んでしまったので、私は祖父の顔を知らなかった。この前、祖母宅にお邪魔した時にお仏壇の遺影で初めて祖父の顔を見たのである。言われてみれば祖父っぽい、私の父と叔父の顔を足して2で割ったような顔をしていた。どうやら我が父と叔父は祖父似で、祖母にはあまり似なかったらしい。お仏壇には少し中身が減ったカップ酒が供えられていた。生前の祖父は酒が好きだったのだという。もしかしたら今の祖父はお盆以外の時でもこっそりとこの世に来て、自分の仏壇に供えられている酒をチビチビと飲んでいるのではあるまいか。だとしても、いくら飲んでも誰にも迷惑はかけないので放っておいてよかろう。実際には酒が自然に蒸発して減っているだけのことであろうし。問題は祖母宅の物の多さである。

祖母は物を飾るのが大好きだ。祖母宅の壁にはカレンダーがかかっているだけでなく、絵画や1000ピース以上の大きなジグソーパズルや壁掛けの小さなドールハウスなどが所狭しと飾られている。そして、それ以外の壁面は家具の背に隠れている。つまり、空いている壁には全て何かが飾られているのだ。私も絵画を見るのは好きであるものの、隙間なく物で覆われている壁を見ていると圧迫感があり落ち着かない。祖母のことは好きなのだが、祖母宅ではくつろげないのである。これが私を祖母宅から遠ざける一因になっている。

ではなぜ祖母は物を飾りたがるのであろうか。おそらく祖母は寂しいのだろう。子供らは独立し夫は先立ち、成長した孫達は今ではあまり顔を見せない。近所づきあいはあるものの、基本的に一人だ。人は寂しくなると物を飾りたがるのではあるまいか。これは私の経験から想像したことである。子供の頃の私はマスコット的な物全般が苦手で、部屋にはマスコット類がほとんどなかった。それがどうだろう。学生時代にはウサギのオルゴールや猫の貯金箱を買い、卒業してからは難波でフードをかぶったCOBE COBEを買ったり京都でマスタング大佐モチーフのウサギのぬいぐるみを買ったりして、最近ではピンク色のミニダルマやガシャポンのすねこすり様をお迎えしたりしている。まるで出窓と机を埋め尽くそうとしているかのように。気をつけないとこのままではかつての私が苦手だった部屋が完成し、将来的には今の祖母のようなおばあさんになりそうな気がする。可愛い物が妙に欲しくなったり、部屋の壁を覆い尽くしたくなったりした時、その人はきっと寂しいのだ。寂しさはその家にある物の量に比例している。祖母の家には物が多くて申し訳ない。