ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

公園の醍醐味は無意味そうなオブジェクトが密集していることだと思う。

今週のお題「好きな公園」

 

好きな公園というより思い出の公園は、幼少期によく連れて行ってもらった大仙公園である。記憶があいまいなので公式サイトを見てみたら、博物館・日本庭園・図書館・遊具などを有するかなり広い公園だった。「あの公園は広かったな」というのは思い出補正ではなく実際に広いらしい(⇩)

www.city.sakai.lg.jp

よかった。大人になってから端っこにある緑化センターにだけ行ったら、物の配置は記憶の通りだったが全体的にスケールが小さかったのだ。あれ? こんなに狭かったのか、じゃあ他のところも意外と狭いのか?もしかしてこの公園、こじんまりしているのでは? などと失礼なことを考えてしまった。しかし本当に日本庭園があるのなら池の鯉に餌をやった記憶は正しいし、博物館があるのなら恐竜の化石を見た記憶も正しかろう。ティラノサウルスの顔が恐くて、いつも母にくっついていたのに珍しく父にくっついていた覚えがある。万が一、目の前にいる恐竜が本当に暴れだしたら、母ではとても太刀打ちできないだろう。父ならば私ひとりぐらい抱えて走って逃げてくれるにちがいない。だからここは父の近くにいておこう、と無意識のうちに考えたのだろう。とっさの判断にしては的確だ。しかしその場合、母には自力でなんとかしてもらうことになるが(笑)思えば私は昔から「動きそうで動かないもの」が怖かった。実は大人になった今でも怖い。恐竜の化石は石に埋もれているタイプでないと怖いし、人形全般も怖いし、ぬいぐるみだって大きいと怖いので我が家には手のひらサイズのマスコットしかない。大きなものでも陶器の和装ウサギがせいぜいである。お人形やぬいぐるみ類に囲まれて暮らしている人とは一生わかりあえないと思う。 …私の恐怖症についてはこのぐらいにしておこう。公園はトラウマではなく穏やかな思い出をつくる場所だ。記憶のなかにある施設がこれだけ実在するのだから、おそらく、むやみと複雑な造形の水路に葉っぱを流して眺めたのも正しい記憶だろう。噴水や石像など、街中ではみかけない不思議なオブジェクトを眺めるのが好きだった。公園の醍醐味は、無意味に見えるオブジェクトが密集していることだ。何か意味ありげだが、個々の造形に深い意味はないのだろう。林のなかに立つ石柱群の根本にはなぜか水が溜まっていた。噴水ではない静かな人工池だ。子供のころはその佇まいにロマンを感じていたが、今になって眺めたらたぶん「アクションゲームのボス戦のステージにありそうな造形だな」とか思いそうである。今の私は無意味そうなオブジェクトの群にロマンを感じることができるだろうか。

 

以上、大仙公園の思い出でした。

 

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