今週のお題「一生モノ」
自分で買ったわけでもないのに、結果的に一生モノと化しているハサミが一本ある。小学生の時に使っていた裁縫セットに入っていた、持ち手が水色の裁ちばさみだ。今はどうか知らないが、私が小学生の頃は、学校が用意したパンフレットに載っている裁縫セットから選んで注文する方式だった。
家庭科で使うためだけに買われた裁ちばさみはその後、文房具として本棚の引き出しへしまわれることになる。遅くとも高校生の頃には文房具扱いされており、裁ちばさみではなく工作ばさみとして、主に紙を切る仕事をしている。同じ裁縫セットに入っていたチームメイトたちの行方は知れない。糸切りばさみや指ぬきやヒモ通しやチャコペンや待針はどこへ行ったのかわからないが、裁ちばさみだけは残っている。
分厚い刃と、左右で形のちがう持ち手。裁ちばさみは独特の風貌で「私はここにいるべきではない」と引き出しを開けるたびに訴えてくるが、この引き出しの他、我が家にハサミ類の居場所はない。裁縫なんてジーンズの裾上げがせいぜいだし、それだってたいていは店に頼んでしまう。我が家で裁ちばさみが必要なことはめったにない。だから私は裁ちばさみに言い聞かせる。「君はこの引き出しにいるべきだ」と。そして理由を説明する。ミスプリントで無駄になった哀れなコピー用紙を切る時に、君が必要なのだと。A4サイズのコピー用紙を8片に切ると、メモ紙にちょうどいい。刃渡りが長いと一気に切れて便利である。ミスプリントが何枚あろうが、あっという間にメモ紙にできる。君はとても有意義な仕事をしているのだ、と。
私が言い聞かせても、裁ちばさみは不満げだ。あなたはそう言うが私はコピー用紙以外のものまで切らされている。あなたが私で両面テープを切るせいで、私の刃にはノリが付着し、今ではすっかり切れ味が鈍った。昔は布でも切れたのに、今では紙しか切れない。今の私は「紙も切れる裁ちばさみ」ではなく「紙しか切れない元裁ちばさみ」と化してしまった。おまけに、なぜか乾いた瞬間接着剤までこびりついているんだ。この現状をどうしてくれる?
裁ちばさみの反論はもっともなのだが、今でも我が家にいられるだけありがたいと思ってほしい。だって、しょせんは小学生用の道具なのだから。捨てるのがもったいなかったというよりは、不燃ごみとして処分するのが面倒だっただけだろう。金属製だから生き残ったようなものだ。我が家に特別、ハサミが不足しているわけでもない。なんなら、自転車と一緒に捨てたっていい。それでもまだ文句を言うのかね、君は。
私に脅された裁ちばさみは沈黙し、今日もおとなしく本棚の引き出しに入っている。
以上、小学生の頃から家にいる裁ちばさみについてでした。