ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

【ネタバレ注意】映画『JOKER』をもう一度観たら、印象が変わった。

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目次

 

劇場でグッズがみつからなかったのでたまたま通りかかった金券ショップでムビチケを買いました。買ったからには台風が近畿地方近くに来る前に使おうと映画『JOKER』をもう一度みてみたら印象が変わったので再びの感想記事を。2回目なのでネタバレありでお送りします。

本作はまず、予告編と本編で印象が違います。天才犯罪者ジョーカーが、バットマンがいない頃のゴッサムで警察を相手に好き放題に暴れまわる話ではありません。予告編ではけたたましく笑うアーサーと、うまく刑事から逃げ、タバコをふかしながら警官とすれ違うジョーカーのシーンが多く映るので派手な犯罪が観られそうに思いますがそんなことはない。派手な犯罪が観たい方には本作はおすすめしません。

さらに印象が変わるのは初見の時と二度目の時だと思います。初見の時の私は宣伝文句に影響されていたので「真面目に社会に馴染む努力をしていたのに失敗して狂った哀れな男がジョーカーになってしまった話」だという印象を受けたのですが、二度目の時には先入観を捨てて観たからか「実は元から破壊的なことが好きだったが生きるために無害な市民を装っていた男がやっと本性を表に出してジョーカーとして解放された話」だと思いました。アーサーは色々と恵まれていないので哀れな男であることには間違いありませんが、可哀想ではない。なぜならアーサーは我慢や努力を放棄することで遠慮なく本性を出せるようになり、母から呼ばれていたように「ハッピー」になるからです。つまり本作はアーサーのバッドエンドではなくジョーカーのハッピーエンドで、ジョーカーからすればやっと表に出られて万々歳なんじゃないかと。アーサーが笑いの仮面をかぶっていたのではなく、ジョーカーが市民の仮面をかぶっていたのが真相である。これが私の大まかな感想です。

この他、私がもう一度観て気がついた・思い出した細かな点をあげると

・アーサーの初登場時にはメイクが完了しているので最初は素顔がわからない

・母親ペニーの「あなたの幸せな笑顔でみんなを楽しませるのよ」は後に現実になっている

・アーサーが冷蔵庫に入って凍死自殺しようとした時、母親ペニーはまだ生きて入院していた

・アーサーは3人を殺したことを「悩むかと思ったけどすっきりした」と言っている

・最後にアーカムで面談を受けているシーンでは机にマイクが置かれている

・赤い足跡をつけて廊下を歩くシーンではズボン右足の裾に赤いシミが広がっている

以上です。以下、それぞれの点について書きます。

 

初登場時にはメイクが完了しているので素顔がわからず親しみを持ちにくい

初登場時のアーサーはメイクが完了しており、最初は素顔がわかりません。素顔からメイクしていくステップが観られるのは終盤です。出勤→到着→同僚に挨拶→メイクを始めるという生活臭のある過程を経てこのシーンに繋がっているはずですが、この過程はまるっと飛ばされて、アーサーのメイクが完了しています。観客の私たちは後のシーンにならないと彼の素顔がわかりません。素顔でない人には感情移入しにくのではないでしょうか。これは、本作では主人公に親しみを持たせる気がないことを表しているのかもしれません。アーサーはロッカーがある部屋でメイクしているので、このメイクは犯罪用ではなく仕事用であり、彼にとっては日常であることがわかります。アーサーが職業ピエロ(パーティークラウン)であることはCMからもわかることですが、あのメイクは仕事用であることを改めて伝えられると興ざめするかもしれません。さらに、終盤になるとアーサーがピエロマスクを見ながらメイクしており、彼のピエロメイクは彼のオリジナルではなく市販品を真似たものであることがわかります。親しみを持ちにくい導入部に加えて彼には独創性がないことを描く終盤。これを見る限りだと本作は主人公アーサーを肯定的に捉えていないようです。

 

「幸せな笑顔でみんなを楽しませる」は後に現実になっている

アーサーは母から「あなたの幸せな笑顔でみんなを楽しませるのよ」と言われて育ったようです。そのくせ母親は彼をいわゆる社会人にさせようとしていたらしいので、この言葉は「辛いことがあっても笑顔を忘れないようにしなさい」という意味だったのでしょう。しかしアーサーは文字通りの意味だと解釈してしまいコメディアンを目指したようです。アーサーのズレた解釈は後に現実になりますが、これはアーサーが当初思い描いていたのとは違った形でした。現実になったのは「ジョーカーとしての幸福な笑みが一部の暴徒を熱狂的に喜ばせる」という形です。皮肉といえば皮肉ですがジョーカーが幸福ならば私は文句なしですね。現実にいたら迷惑を通り越して有害な人なのはわかっておりますが。ついでに言うと、アーサーが自首して刑務所に入り囚人たちを楽しませるというルートを選ばなかったのは、実は彼には他人を楽しませる気がなくて自分が注目されたいだけだからだと思います。コメディアンになることに執着していたのはそのせいかと。だから、コメディアンになり損なって殺人ピエロになってしまっても平気なのでしょう。みんながもてはやしてくれるのですから。こう考えるとアーサーは可哀想というよりは自己中心的な人物に見えます。

 

冷蔵庫を使った自殺未遂は母親の入院中である

ひとりになったアーサーは自宅の冷蔵庫の棚を全部はずして冷蔵庫の中へ入ってしまいます。おまけに上半身には何も着ていません。どうやら冷蔵庫を使って凍死自殺しようとしたようです。このシーンはてっきり母親殺しの後だと思っていましたが、もう一度観たら母親の入院中でした。母親を殺して自暴自棄になったのではなく、母親が入院して世話をする心配がなくなったので心置きなく死のうとしたようです。3人殺したのに自首していないのは母親が心配だったというのもあったのか。この冷蔵庫は二人暮らしだった割には全然食料品が入っていません。家賃その他を払うと食費がろくに残らなかったのか、この家には食料品の買い置きがないようです。こんなシーンでも貧しさが伝わってきてやりきれない。ちなみにこのシーンはアーサー役のホアキンさんのアドリブだったとか。これが脚本にないシーンだったのなら、そもそもアーサーが一度自殺を試みるというアイデア自体がなかったのかもしれません。そうなるとアーサーが死に方を変えるというか、「ショーに出演する来週の木曜日まで生きていないといけなくなったので」気が変わって自分の出自を調べに行ったという流れ自体が、ホアキンさんのアドリブで生まれたことになります。すごいなぁ。

 

3人殺したことを悩まずに「すっきりした」と言っている

3人殺したアーサーが自首しなかった最大の理由は悩まなかったから。「ひどいことをした。悩むかと思ったけどすっきした」と言っています。犯罪であることは自覚していても罪悪感はなかった。アーサーは生まれて初めて人殺しをしたことで自分はムカつく奴を殺しても罪悪感を持たない人間であることを自覚したようです。いくら気が動転していたからといって、その場から逃げたのはともかくトイレでスローダンスを始めてしまう人に罪悪感なんてあるわけがないですもんね。あそこにあったのは罪悪感ではなく高揚感だと思います。最初にこのセリフを聞いた(読んだ)時はアーサーが狂いつつある兆候に見えたのですが、よく考えたら元からこういう性格だったのではないかと。そう思うと印象が変わるセリフですね。アーサーが一度死のうとしたのは自分の邪悪さを自覚したからなのかも。自宅で死んでひっそりと社会から消えようとしたあたり、罪悪感はなくても良心はあったらしい。もっとも、この最後の良心はショーで司会者を撃ち殺した瞬間に消し飛んだようですが。憧れの人を殺して憧れから卒業してしまったようです。

 

アーカムでの面談シーンでは机にマイクが置かれている

ジョーカーは捕まって入院させられたようです。真っ白な病院の壁を背景にして女性医師(?)と面談するシーンでは、机にマイクが置かれています。つまり彼の話は録音されているのですね。これは面談・カウンセリングというよりは取り調べの延長なのかも。しかし作中でアーサーは妄想を持ちうることがわかっているので、この記録は信頼できないという指摘をしている方もいます。私はこのマイクを見るまで、ジョーカーの話が録音されていることがわからず、この物語がアーサーの回想であることに気づいていませんでした。映画を観る際には小道具に気づくかどうかも大切ですね。

 

赤い足跡をつけて歩くシーンではズボンの右足の裾にシミが広がっている

彼がジョークを思いついたと言う→医師が聞かせてと言う→理解できないさと彼が言う→彼が足跡をつけながら廊下を歩くという流れになっているので、彼は面談の後に医師を殺したのではないか。その血をしたたらせながら歩いているのではないかという解釈も見ましたが、彼のズボンの右足の裾に赤いシミが徐々に広がっているのが確認できたのでこの解釈は違うかなと。私は彼が自分で自分の右足首を切ってわざと血をたらしながら歩いているんだと思います。これが、彼が先ほど思いついたジョークなのかは謎ですが。これを見る限り彼は理性のタガが外れており、かなり狂気じみています。そもそも一度も退院しておらず外で暮らしたことも事件を起こしたこともない、というわけではなさそうです。赤いスーツに緑の髪のジョーカーは現実に英雄になっていることでしょう。それならば、いつか支持者たちがアーカムを襲撃して彼が逃がされる未来もありえるのかもしれません。というか、実現してほしい。

 

以上。とりとめのない記事になりましたがひとまずここまで。いつか3回目に観たらまた感想記事をお送りします。

 

追記:この映画には4通りの見方があるよね。

この映画には4通りの見方があります。アーサーがかわいそうだと思うか否かと、作中のできごとは作り話であるか否かです。ちょっと図解してみます。

まず、アーサーがかわいそうか否かという視点を二つに分け、それぞれをAとBとします。

A:アーサーは何もかもを失って狂った哀れな男であるという視点

B:アーサーは元からジョーカー的な性格を内包していたという視点

次に、作中のできごと(アーサーがアーカムでマイクを前にして話したこと)は、アーサーの作り話であるか否かという視点を二つに分け、それぞれを1と2します。

1:作中のできごとはすべて現実に起きたことである

2:作中のできごとの一部または全ては、アーサーの作り話である

以上の視点を組み合わせは、以下のように考えられます。

A1、A2、B1、B2の4通り。

みなさんはどの組み合わせの感想を持たれたでしょうか。私は初回ではA1、2回目ではB1の感想を持ちました。ブログなどで他の人の感想記事を読む場合は、筆者はこの4通りうち、どの視点によっているのか考えながら読むといいかと。この4通りは感想を語り合ううえでの大前提なので、この部分が共有されていないと話がかみ合わないと思います。お友達と感想を話し合う際のご参考までに。

 

※本記事は、10月12日に加筆しました。