ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

「幼稚である」を「心の視点が低い」と言い変えてみることにした。

今週のお題「下書き供養」

 

今回は私見を述べる記事です。

私は幼少期、地面にあるものに気を取られがちでした。ドングリとか枯れ枝とかバッタとかアリとか。大人になった今は、こういったものにはあまり興味がありません。では、これはどうしてなのでしょうか。

身長が高くなったのが要因だと思います。背がのびて視点が高くなり、地面にあるものがよく見えなくなったので、気を取られないようになったのです。そのかわりに周囲に注意するようになり、他人の通行の邪魔にならないよう道の端に寄りながら、まっすぐに自分の目的地へ向かうことができるようになりました。

これを精神的に考えてみます。

地面にあるものに気を取られる=些細なことが気になる

視点が低い=全体像が見えにくい

こう考えると「幼稚であること」を「心の視点が低い」と言い変えられるでしょう。意識が高い・低いという表現もあることですし、よく考えたら低い=幼いというイメージはすでにあるんですよね。だからこの言い変えは的外れではないと思います。

これはあくまでも、私自身への提案です。最初の構想ではこの記事で、自分の身の回りにいる幼稚な人にムカついている人にむけて、幼稚と言うと悪口で、相手を攻撃しているように聞こえるから「幼稚である」を「心の視点が低い」と言い変えてみたらどうか、という上から目線の提案をしようと思っていました。こうすれば、口に出した時に罪悪感がわきにくくて、腹が立たないのではないかと思って。でも、あとで気がつきました。言い変えても実害を受けていたらムカつくことに変わりないだろうし、人によっては幼稚と言うよりさらに失礼に感じるかもしれないと。 

 

…下書きは以上です。ここまで書いておきながら結論を思いつかなったことを思い出しました。よく考えたら他人様に提案できることではないし、自分で実行しているわけでもないので宙に浮いた記事になってしまったのです。そこで今回のお題に投稿しました。「下書き供養」はいいお題だと思います。はてなブログ様ありがとう。

 

※上記の提案を実行して叱られても当ブログの筆者は責任をとれません。上記の提案を実行する際は自己責任でお願いいたします。