ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

【ポケモン】世界を救うのは成り行きでいいし、共に戦うのは獣がいい。

共に戦うのは獣がいい

アニポケのサトシが「大丈夫か、リザードン!」と言うたびに母は「いや、おまえが行かせたんやろ」と言っていました。確かにその通りです。心配するぐらいなら戦わせるなって話ですね(笑) ゲームでもポケモンたちは「おや」と呼ばれる飼い主(トレーナー)の自己顕示欲の道具にされています。小遣い稼ぎに戦わせたり、飾り立ててコンテストに出してみたりと手段は様々ですが、現代のポケモンは人間と共存しているというより人間に利用されていると言ったほうが正しいでしょう。人間と獣の友情を信じない私はつい「何が『力を合わせている』だ。何が『トレーナー』だ。ジムリーダーも四天王もチャンピオンも、ポケモンを戦わせるしか能のないクズじゃねえか。この自己顕示欲の塊どもが!」と思ってしまいます。しかし最近は、これはこれで良い世界観なのだと思えるようになりました。手持ちのポケモンたちはコレクション兼戦闘員にすぎず、いくらでも替えがきく道具であってくれたほうが、共に旅する身としては安心できます。そもそも、図鑑のために数百匹のポケモンを捕獲する主人公が「ポケモンは友達」だなんて思ってるわけがないですし。正直な話、共に旅するならば、祖国を背負った悲壮感のある人物よりも、そこらへんで捕まえられる獣のほうがいい。人間キャラが死亡すると罪悪感を抱きますが、ポケモンなら「ひんし」になっても良心が痛みません。要するに、旅の共は人間キャラよりポケモンのほうが心理的な負担が軽くて良い。メンバーの全員が獣のパーティ、最高!

 

世界を救うのは成り行きでいい

ファイアーエムブレムif」をプレイして気がついたんですがどうも私は、重大なことであればあるほど関わりたくない。二国の存亡をかけた戦争の時点で関わりたくなかったのだから、世界の滅亡を防ぐ戦いなどもってのほか。その点「ポケットモンスター」シリーズはすばらしい。博士から図鑑を託されて旅立つ主人公は、旅するうちに悪の組織があることを知り、その野望を食い止めようとしますが、それはあくまでも成り行き。旅のはじめは、チャンピオンを目指すトレーナーのひとり。図鑑を持っている以外は他の子と同じです。ポケモン本家シリーズの主人公は最初から世界の命運を託されているわけではなく、生まれつき特別なわけでもありません。これが気楽で良い。世界を救うのは成り行きでいい。子供に世界の命運を託すのは反対派の私は、子供が世界を救う話ならば「特別な存在だから」ではなく「巻き込まれたから」とか「強いから頼りにされている」とかいう理由のほうが納得できるのです。だから、子供が世界を救うのは成り行きがいい。大人になってもポケモンにハマりっぱなしの人がいるのは、これも理由のひとつだと思うのです。ポケモン本家シリーズはもちろんゲームとしても面白いのですが、大人でも子供むけのタイトルを抵抗なくプレイできる理由のひとつに「ストーリーがわざとらしくない」ことも含まれるのでは。私は子供の頃「特別な存在」とか「自分にしかできないこと」に憧れていたのですが、アラサーの今となっては「特別な存在」になんか死んでもなりたくないですし「これは君にしかできないことだ」なんて言われたくないので「世界を救え」なんて絶対にお断りです。しかし、ポケモン本家シリーズの主人公は成り行きで巻き込まれていくのでお断りしている場合ではなく、仕方なしに悪の組織と戦い、図鑑のために伝説のポケモンを捕獲して、結果的に世界を救います。そう、ポケモン本家シリーズの主人公は巻き込まれ型なのです。巻き込まれ型主人公は主体性がなくて嫌いな人もいるでしょうが、巻き込まれ型のほうが自然でいいと思いません? どうしても世界を救うのなら、やっぱり成り行きがいいと思うのです。

 

以上。世界を救うのは成り行きでいいし、共に戦うのは獣がいいと思う件をお送りいたしました。

 

追記:この記事の公開後に読者様が増えました! 登録ありがとうございます! いつの間にかポケモンの記事が多くなってきました。なんだかんだ言って私はポケモン本家シリーズが好きです。今回は好きな理由を言語化できてよかった。ポケモンやゲームの専門ブログではありませんが、末永くお付き合いいただけたら嬉しいです。