ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

自分軸がある=人生の流行を追わないこと。

お題「あなたの「自分軸」って何ですか?」


私が思い浮かべる「自分軸のある人」は「流行を追わない人」だ。流行を追うのは自分軸のある人がすることではないと思っている。

私自身は主体的に生きたとはとても言えない人生で、学生時代は研究者になりたいわけでも勉強が好きだったわけでもないのに「まだ働きたくないから」とか「まわりはみんな進学するから」という消極的な理由で大学に進学した。しかし、受験勉強は過酷なものだ。「みんながするから」なんて理由でできることではない。私は高校生になってようやく自主性を発揮し、志望大学と受験方式は自分で選んだ。AO入試という、スクーリングと面接と小論文ぐらいで受験できる方式を選択。センター試験どころか大学別の直接入試さえ受けなかった。ペーパーテストの類はすべて放棄。受験勉強は断固拒否。そのかわり夏休み中にいくつもオープンキャンパスを巡って大学の雰囲気をつかみ、受験する大学を決めた。普段は自主性のない人間でも「自分には、みんなと同じことはできない」と判断すれば自主性を発揮する。ぼーっとしている人でも、限界が来ればおのずと動くのである。自分は「楽をするためなら労力を惜しまない」性格だとわかったのは収穫だった。

上記の受験エピソードはむしろ、AO入試という当時の流行に乗ったエピソードに見えるかもしれない。しかし私にとって「流行」とはトレンドだけを意味しない。「みんなが疑問なくしていること」だって流行だと思っている。今生きている人間がしていることの大半は、ここ数十年の価値観で形成された動機による行動で、いつ主流でなくなるとも限らない流行にすぎない。聞くところによるとセンター試験はなくなったというし、母の世代では専業主婦が多数派だったのに私の世代では共働きが主流になった。核家族も男女別役割分担(サラリーマンと専業主婦)も、日本の伝統的な文化ではないと言われて久しい。「今自分の目に映っているもののほとんどは、ただの流行」だと思えば気が楽になるのでおすすめだ。自分は「みんなと同じことができないダメ人間」なのではなく「流行を追わない冷静さを持った人間」だと思えばいい。こうすれば正社員じゃなかろうが結婚していなかろうが、劣等感は減る。そんなもんただの言い訳じゃないかと言われればその通りだが「みんなと同じことができない」人間が自己肯定して生きていくには必須の考え方だ。だから、堂々と言おう。私は自分軸をもって、あえて人生の流行に乗っていないのだと。以上。