ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

【ネタバレ注意】映画『JOKER』を観てジョーカーのにわかファンになったのでバットマンの翻訳版コミック買ってみた。

今週のお題「好きな漫画」

 

目次

 

今回の記事はタイトルそのまんまの内容をお送りしよう。今年の映画『JOKER』を観てジョーカー氏のにわかファンになった。ジョーカーは2008年の映画『ダークナイト』に登場していた時から気になっていて、当時はウィキペディアなんかで基本情報を調べたりしていたが。今年になってpixivなどでファンアートを見たり、あまつさえ翻訳版コミックを買うことになるとは思いもしなかった。ざっと調べたところ、ジョーカーは一話で消える予定のキャラクターだったが作者の気が変わって作中で生き延び、バットマンシリーズ最大の宿敵になったのだとか。もうこの時点でジョーカーに現実が侵食されているような気がする。ジョーカーが作者の夢に出てきて「おれ様を死なせるだあ? バカ言ってんじゃねえよ。おれがこの程度で死ぬわけねえだろうが。おれとバッツは永遠に遊ぶんだ! わかったらさっさと結末を書き換えな!」なんて言ったのではないかと。ありえそうな気がしないだろうか? バットマンシリーズは2019年現在で80周年らしいが。80年も続くコンテンツってすごいんじゃないか? やはりジョーカーの呪いか。それにしてもアメコミはすごい。公式の版元からまるで2次創作みたいな説定と展開の作品がバンバン出版されている。天国のようだ。

ここからは私が買って読んだものの画像と感想をお送りしよう。

 

 『エンドゲーム』

 

ジョーカーによるゴッサムの破壊が描かれる一作。ジョーカーが自らバットマンとの別れを切り出すとは意外すぎる。喪服のような黒スーツを着たジョーカー。服装からして本気なのがわかる。カラースーツでも仮装でもないジョーカーは珍しく怖い。このコミックはとりあえず分厚い。分厚さに比例して長い物語なのでまだ自分の中で感想がまとまっていないが、アーカムの5人の患者がそれぞれ、自分がジョーカーから聞かされた「ジョーカーの正体」を精神科医に話すところは面白かった。そして精神科医が「ジョーカーの真実」を話して、ある意味では決着。先生が書いた本は無事に出版されるのか。

 

バットマン:ヨーロッパ』

アメコミについて少し調べると、正史(メインストーリー)の他に、ミニシリーズと呼ばれるパラレルワールドを舞台にした短編があることがわかったので、あらすじを読みながら好みのものを探したところ『バットマン:ヨーロッパ』を発見。バットマンがジョーカーと共闘する!? しかも舞台はゴッサムだけじゃない!? これは好みの予感! ということで迷わず購入。かくして私の人生初アメコミは『バットマン:ヨーロッパ』に。『バットマン:ヨーロッパ』を読んでよかったことは、ファンアートでよくある「Bad joke」「Bat joke?」の元ネタが知れたこと。海外でのカップリングタグ「Batjoke」もこれが元ネタなのか?

 

『喪われた絆』

表紙が怖すぎて買うのを躊躇していたが『エンドゲーム』以前の事件も知りたくなったので、時系列的に中間の『真夜中の事件簿』をスルーして購入。ジョーカーがアーカムで大活躍するので買って損なし。勇気を出してよかった。「聖王のタペストリ」を現実で見てしまったら夢に出てきそうだが。悪夢を見そうな一件だった。

 

『ロング・ハロウィーン

個別記事を書くほどお気に入りの一作。魅力的すぎてうまく感想がまとめられないので、以下のリンク(⬇︎)から個別記事を参照のこと。

 

 

バットマンホワイトナイト

映画のパンフレットで紹介されていたので購入。シュッとした線で描かれているキャラデザ(特にトゥーフェイス)が私好みだったうえに内容が面白かった。ジョーカーが正気に返るというよりも、過剰投薬で人格が善悪に分裂して、善の人格がバットマンを追い詰めながら警察などの不正を暴きまくって街を浄化していく物語。この設定だけ聞いていると2次創作くさいが、高品質な絵と素敵な物語がついているので不満はない。公式が供給してくれるのならそれに越したことはないのだから。『ロング・ハロウィーン』よりも多くのヴィランが集まった会合の集合絵だとか。しかし、お互いに憎み合っていたはずなのに、用意された飲み物を無警戒に飲む『ホワイトナイト』のヴィランたちは実は仲がいいのでは。どうやって連絡をとったのか。よく考えれば連絡先を知っている時点でかなり仲良しではないか? そう考えると微笑ましい。『ホワイトナイト』はジョーカー(悪)とジャック(善)人格の入れ替わりを髪の色・髪型・瞳の色・肌の色で表現しており、同じ身体を使っていながらも非常に見分けやすくなっている。ホワイトナイト』のジョーカーはなぜかオッドアイ フェチシズムが刺激される! フルカラー万歳! 個人的にはジャックの目がオッドアイになっている、人格切り替わり中の状態が一番好き。本作の続編が無事に翻訳されたのでアマゾンで購入。

 

『ロング・ハロウィーン』の続編『ダークビクトリー』

あの世界線のデント氏がどうなったのか知りたかったのと、もっとティム・セイルさんの絵が観たいと思って購入。ジョーカーがたいして活躍しないのは残念だが、やっとペンギンにもセリフが与えられたしミスターフリーズが登場する。例の、トゥーフェイスがアイビーにキスされたがギルダへの愛が強すぎてフェロモンが効かなかったシーンも見られる。短編「バットマン:マッドネス」も読めたのでよかった。それにしても今作と前作のスケアクロウとマッドハッターは狂気が濃い。スケアクロウはほぼマザーグースの引用しかしゃべらないし、マッドハッターは「アリス」の引用でしか話さない。この印象で『ホワイトナイト』を読むと「マッドハッターが引用以外のことを話してる! かなり正気!」と思ってギャップを感じる。

 

バットマン:ウエディング』 

あらすじからは想像できないほど複雑な物語。まさかのタイムトラベルもので、私は初めて見る「ブースター・ゴールド」なんてキャラが出てくる。しかも一度はブルースの両親が生きている世界線が発生し、両親がいる幸せを享受していたブルースは自害する。2人の結婚以前の話が長い。しかも今作はバッドエンド。バットマンが勝たないとは珍しい。ジョーカーが結婚を阻止するべく教会でキャットウーマンを撃ち殺そうとするのは予想通りだが。それにしても今作のジョーカーは妙にフレンドリー。ゴッサムヴィランたちをファーストネームで呼んでいる。ちょっとかわいい。その前のバットマンとの会話のセリフまわしはさすが。今さっき自分で言ったことを忘れているのか、それとも自分がしたことを片っ端から忘れていくのか、ただ単にジョークを飛ばしまくっているだけなのか。判然としないのがいかにもジョーカーらしい。もしかしたら本人にもそのへんのことはわかってないのかもしれない。とりあえず、あの日に教会にいた市民の方々のご冥福をお祈りしよう。いくらゴッサムとはいえ名もなき一般人の結婚式があのジョーカーに襲撃されるとは誰も想像するまい。ゴッサム×結婚式×ジョーカー=虐殺であることがわかる一作。ゴッサムでは結婚式というかイベント全般が無理だと思う。ジョーカーがシャバにいる限りは。

 

バットマン:イヤーワン/イヤーツー』

バットマンの始まりも読んでおくべきだろうと思ってついに購入。巨大なコウモリに化けるという案を思いつくまでのブルースは街で一悶着起こす。いい歳した大人が正義感だけで動こうとするからだ。ブルースという人はバットマンになってようやくゴッサムになじんだのかもしれないが、2年目に出会った敵のリーパーが強すぎた。リーパーはこのミニシリーズだけで退場するにはもったいないほど魅力的なキャラ。信念というか美学があってしかも強い。リーパーには続投してほしかったところだが、続投したらしたでジョーカーに「ゴッサムに義賊は一人でいい」と言われて襲われそうである。ジョーカーvsリーパーという対戦も見てみたかったが、この時期だとジョーカーもまだ弱いか。今作で他に印象的だったのは、おなじみのヴィランたちが登場せず、ブルースの両親を殺した男ジョー・チルとの因縁にフォーカスしていること。ジョー・チルはNEW52の世界では生きていた。ジョー・チルは作品によって生き死にが異なっているようだ。本作のように死んでくれたほうが、ブルースとしては心安らかになれていいのではないか。本作のバットマンは少しだけ鈍い。偽リーパーの素顔を見て「ジョー・チルに似ている」と思わないとは。知らない顔だが、どことなく奴に似ている、ぐらいのことは言ってほしかった。この点は残念だが、息子が「ジョーイ・チル」と名乗ったことで偽リーパーの正体を察したらしい。両親を殺した本人は憎んでいても、その息子や孫のことは温かい目で見守ることができる。これこそバットマンだろう。

 

『ジョーカー:ラスト・ラフ』

脳に腫瘍がみつかり自分の死が近いことを悟ったジョーカーは世界を道連れにすることにした、というあらすじでジョーカー主体の内容らしいので読んでみたかったが、表紙のイラストから受ける印象に反してバットマンが活躍しないとのことだったのでスルーしていた作品。実際に読んでみるとジョーカーの収監先がアーカムじゃないわ、最後の戦いの相手はバットマンじゃないわで調子が狂う。本作を読むとゴッサムヴィランズはしょせん常人なのだと思い知らされる。ジョーカー以外のゴッサムヴィランズでセリフがあるのはスカーフェイスとキラークロックとミスターザーズだけだった。ゴッサムヴィランズはあくまでも病んでる常人なのであって超人ではない。スラブサイド刑務所を異次元に飛ばした割には尻すぼみな印象がある本作だが、ジョーカーがゴッサムヴィランズどころではない悪党を手下にして、ゴッサムだけでなく世界中に損害を与えまくる様は見ていて気分がいいので問題なし。たまには竜頭蛇尾の作品があってもいい。それにしてもバットマンはジョーカーの性格を熟知しているな。この人道主義者め!

 

『ダーク・プリンス・チャーミング』

 

DNA解析の結果アルフレッドが言った「不本意な結果」とは何を意味しているのか。アリーナのDNAは誰から継いだものなのか。真の答えを知るのはブルースとアルフレッドだけだが、ジョーカーがアリーナを自分の娘だと思っている限り、また生きて二人の前に現れるだろう。最終的にアリーナはブルースに保護されるが、さて。平和な思春期を過ごせるだろうか。ジョーカーが生きている限り、アリーナに恋人ができても片っ端から撃ち殺されそうな気がするのだが。そしていつか誰も寄り付かなくなり、アリーナはジョーカーの娘だという噂が流れ、友達も離れていき、学校で孤立したアリーナはジョーカーとの対決を余儀なくされるという展開の続編が読みたい。本作の10年後ぐらいの設定で。蛇足だと思われるかもしれないが。私は子供キャラを見ると大人の姿が見たくなるのだ。せめて18歳のアリーナが見たい。さらに欲を言えばゴッサム市警の制服を着たアリーナがジョーカーに手錠をかけてパトカーに乗せ、警察署に着くまでパトカーの中で「ジョーカー、私を覚えてる?」なんて会話するシーンが見たい。でもまあこれは私の勝手な願望なので置いておこう。何気なく初養子がディック➡︎アリーナという大改変が起きている気がするがまあいいか。正式な養子縁組はしておらず、ただ単に保護しているだけなのかもしれない。とりあえず、アリーナ、どうかお幸せに。

 

アーカムアサイラム』増補改訂版

見ての通りカバーイラストが怖いうえに読みにくい画風なので「バットマン」を初めて読む人にはおすすめしない。

ジョーカーのファンからすると本作で一番注目するべきなのは精神科医ルース・アダムスの

「私達と違ってジョーカーは、外界から受け取る知覚情報を制御していないみたいなのよ」(P41、6コマ目)

というセリフだろう。このセリフは次のページに続いているのだが、ここだけ読むとジョーカーはただのAIというか、周囲に対して自動的に応答しているだけで人格を創ってさえいないのではないかと思う。自分の姿が変わってしまったことを知った瞬間、もう二度とまともな人間として見られないことを悟り、それならば人間のように思考することをやめようと決意し、他人がみなす通りの道化師的な言動をしている。つまり常に計算され尽くした行動をしているとも考えられるのだ。それが「超正常な人間」という表現が意味するところではないだろうか。本作のジョーカーは、表情が変わらず仮面のようで現実味がない顔と、少し曲がった緑色の付け爪や関節のシワがある指が描かれた右手のリアルさのギャップが面白い。ジョーカーに限らず、本作では患者であるヴィランたちの方がはっきりと描かれ、黒々としたスーツのバットマンは暗い背景に半ば同化している。私にはバットマンがこのままアーカムの一部になるのが自然に思え、バットマンアーカムの外に戻るべき存在であることが信じられなくなった。これはジョーカーも思っていたことらしく、去りゆくバットマン

「辛くなった時にゃあ思い出せよ…お前の場所はいつでも用意してあるからよ」(P114、9コマ目)

と言う。うっかりするとジョーカーに同意してしまいそうになる危険な一作。 

 

『ハーリーン』

本作で描かれているのは、精神科医のドクター・クインゼルがハンサムで危険でどこか弱々しく見える魅力的な男、ジョーカーに溺れていく過程である。「まとも」ではないのに自己嫌悪に陥らず生きることは簡単ではないだろう。しかしゴッサムヴィラン達は易々とそれを実行している、自己肯定感の塊のような人物ばかりだ。この中から自分の理論に一致した患者をみつけることはできそうにない。そう思っていたドクター・クインゼルがジョーカーに会った時、ドクター・クインゼルは、この男は私の理論に合致する患者だと思った。「私なら彼を救える」と考えたドクター・クインゼルの使命感はいつしか恋心に変化していく。そして彼を守るために人を撃ち殺し、トゥーフェイスになったハービー・デントと同様に社会的な立場を完全に失う。かくして彼女の居場所は彼のそばだけになる。いつも満月が浮かぶ夜空を見て、ハーレイは、ここは夢の中だと思う。その「満月」はバットシグナルで、今見ている夜空は現実の景色であることからはあえて目を背ける。彼女が「夢」から覚めるのはいつになるだろうか。時に言葉で相手をからめとる狡猾な男ジョーカーと、「仕事」と「愛」の間で揺れ動き、「愛」を取ってしまった女ハーリーンの顛末が読める美麗な名作。ハンサムなジョーカーと美しいハーレイが見たい人にオススメの一作である。

  

『キラースマイル』

本作を読むと、ジョーカーと通常の人間における「現実」の捉え方のちがいを知ることになる。常人にとって「現実」とは、自分の外側にあるもの、迷宮の出口である。常人は狂気・幻覚という迷路から脱出して正気・現実というゴールに着くことを目指す。だから、常人はあるべき現実にたどり着くまでさまようことになる。これに対してジョーカーは、いつ・どこが現実なのかなど気に留めていないように見える。捕まれば脱走する。他のヴィランをみつければからかい、バットマンをみつければ挑発し、市民をみつけたら退屈しのぎに殺す。いつ・どの世界線だろうがジョーカーのすることは大して変わらない。もしかしたらジョーカーにとって「現実」とは自分で選ぶものなのかもしれない。そう決めてしまえば何が現実なのかと思い悩むことはなくなり、本作のようなぶれない人物になれるのだろう。どうやらこの世界線ではジョーカーが先に「ミスター・スマイル」という名で誕生しており、長じたブルースが後からバットマンになったようだ。ジョーカーとバットマンの発生順が逆転した世界らしいが、それでもあの二人がすることは、他の世界と変わらない。結局のところ決着がつくまで戦うのである。夢と現実を、正気と狂気を行き来しながら。「キラー・スマイル」の主人公、精神科医ベン・アーネルがどうなったのかは 、あなたの目で確かめてほしい。

 

バットマン:カース・オブ・ホワイトナイト

待望の『ホワイトナイト』の続編だがジョーカーとアズラエル以外のヴィランのファンにはおすすめしない。なぜなら前作で活躍(?)したおなじみのヴィランたちは本作でアズラエルの手にかかり、アーカムの狭い独房であっさりと殺されるからだ。アズラエルは近接戦闘も強いのでヴィランたちがフル装備で共闘しても各個撃破されていたかもしれないがここまであっけない最期にはならなかっただろう。あえて背中から刺されて己の胸から生える剣先をみつめているトゥーフェイスの死に様は気高くてすばらしいが。ついでに言うと前作で登場した「ネオ・ジョーカー」ことマリアン・ドリューズは完全に蚊帳の外で一コマたりとも登場しない。名前しか出てこないという不遇さである。おまけに本作はまさかの続き物。映画でよくある、ヒットしたからいっそ3部作にしようというやつだ。いっそ1作目で終わっていたほうが作品としては名作だったような気がするがこれは商業作品なのでいたしかたない。もとからゴッサムの謎とウェイン家の秘密に焦点を当てていた作品なのでそこまでズレた展開でもないことだし、ここまで来たからにはもうこの世界線を見守るしかない。ひとつ残念なのはヴィランたちが一掃されたことで、ジョーカーの子供たちを救う可能性のある人間が減ってしまったこと。ジョーカーに恩を売るためにジョーカーの子供たちを救うヴィラン、という展開は見られなくなってしまった。この点はかなり残念だ。さて。ジョーカーが言う「最後の大舞台で使う小道具」とは何か。これが判明するまで、彼は生きていることだろう。たとえ頭を撃たれても。

 

『スリー・ジョーカーズ』

P143最後のコマは、楽しむ悪魔/苦しむ人間を、あるいは笑う道化師/泣く男というジョーカーの二面性をひとつの顔と一言のセリフで表している秀逸な1コマなので必見。どのジョーカーが生き残るのか予想しながら読むという残酷な関心から始まり、バットマンの思慮深さと優しさで締められる一作。この世界線では、1人目のジョーカーが、ジョーカーを3人にまで増やしていた。人まねを嫌うであろう彼は、皮肉にもバットマンに似たことをしている。いや、もしかしたらバットマンの行動から着想を得たのかもしれない。それが「より良いジョーカーをつくる」という発想につながったのだろう。最終的にジョーカーは読者の予想どおり、1人だけになる。自分が1人目なのか2人目なのかは明かさないが。この世界線バットマンはジョーカーの本名を知っているという。しかし公表はしない。とある母子を守るために。今さら彼の家族が生きていることがわかったところでジョーカーが元の人間に戻ることはない。それに、今の彼はそれなりに安定している。下手に人間的な幸福なぞ与えようものなら次に何をするか読めなくなる。仮にあの母子に悪意を向けなかったとしても自分が捨てられたことを知って苦しむだけかもしれない。両者のためにも伏せておこう。この優しさは安定のバットマン思考である。そう、結局のところいつもどおりなのだ。バットマンが優しくて、おまえのほうがオレよりもおかしいのだというジョーカーの指摘に同意しないのも。ジョーカーが己の二面性から逃れられないのも。

 

以上。最近はバットマンシリーズを読んでいる件をお送りしました。

ハロウィンなので『バットマン:ロング・ハロウィーン』の話を。絵もお話も素敵な一作!

(⬆︎)これは2冊セットのリンク。ただしアマゾンでは売り切れ中です。

 

本日は10月31日! ハロウィンですね! 日本では渋谷のコスプレが有名ですが、今回はアメコミ作品の翻訳版『バットマン:ロング・ハロウィーン』の話をします。実は映画『JOKER』を観てからこっちバットマンのジョーカーにハマってるんですよ。そこからボチボチと、メインの悪役がジョーカーさんのものを選んで翻訳版コミックを読んだり、長編アニメを観たりしています。だからバットマンシリーズのファンとしてはすげーニワカなんですけども。この時期に読んだからにはこの話をするしかないだろうと。それじゃあ解説と感想いってみよう!

 

目次

 

あらすじ

ゴッサムの新任地方検事ハービー・デントは、この街から悪と不正を一掃すると決意した。ゴードン警部とバットマンの力を借りれば、これは可能だとデントは信じていた。しかし、そんなデントに異変が起きる。

ゴッサムを牛耳るマフィア、ファルコーネ一家のボス、カーマイン・ファルコーネと利害関係にある人間を次々に殺していく連続殺人鬼「ホリデイ」が現れた。デントはこの事件を追ううちに、妻と家、さらには己の顔にも被害を受ける。デントはすぐに法廷から病院へ運ばれたが、顔の治療を拒み、医師を刺して逃亡した。焼けただれた顔を抱えたままで。

これは殺人鬼「ホリデイ」の正体を追う物語であると同時に、スーパーヴィラントゥーフェイス」誕生の物語。

 

主な登場人物

バットマンゴッサムで活躍するダーク・ヒーロー。コウモリを模した黒いコスチュームに身を包んで戦う男。悪人は捕らえるが殺さないのがポリシー。その正体は、青年実業家ブルース・ウェイン。有り余る資産を元にバットマンの装備や乗り物を整え、法の外で自警活動をしている。

ハービー・デント:ゴッサムの新任地方検事。ゴッサムでギルダという女性と結婚し、法の正義を信じて殺人鬼ホリデイの事件を追っていたが、悲劇に見舞われて私刑人と化す。

ジェームズ・ゴードン警部:妻子持ちでゴッサムに居を構えている警部。バットマンが信頼している数少ない友人で、バットマンからはジムと呼ばれている。

ホリデイ:正体不明の連続殺人鬼。カーマイン・ファルコーネと利害関係にある人物を1年に渡って殺し続けた。祝日にだけ人を殺し、犯行現場に銃とその祝日にちなんだ物を置いていく手口から、ホリデイと呼ばれるようになる。

トゥーフェイス:顔の左半分が焼けただれている悪党。無事な右半分の顔はハービー・デントのものだが、本人いわく「ハービーは死んだ」らしい。片面に傷をつけたコインを持ち歩いており、コイントスで次の行動を決める。

 

感想(ネタバレ注意)

本作は、バットマンワールドにおける有名悪役トゥーフェイスの誕生秘話であり、作中の法廷で起こる事件は正史(New52!シリーズ)にも採用されている重要な事件だということで、ジョーカーさんメインではないにも関わらず読んでみることに。ピクシブでオススメしている人もいたことだしハズレではないだろうと読み始めたら、個人的にすごくアタリの作品でした。もちろんストーリーも面白かったのですが、最初に感動したのはストーリーよりもイラスト。本作はライター(脚本担当)さんとアーティスト(イラスト担当)さんが別人です。つまり分業制で制作されているわけですが(これはアメコミでは通常の手法らしい)、本作のアーティスト、ティム・セイルさんの絵がすばらしい! まず全コマがカラーだし、画風は漫画というより絵本の挿絵のようで、イラストの連続という印象を受けました。話の筋がわかればいいという気持ちで描かれた白黒のコマを見慣れた人間からすると、この絵を観るだけで驚きでした。日本の漫画とは全然違う。大げさに言うと芸術性が高い。バットマンの世界を全然知らなくても目の保養になります。ホリデイが人を撃ち殺すシーンはモノクロで、死体のそばに、銃と一緒に置かれた物だけがカラーになっています。配色自体で魅せるというのはカラー漫画ならではの手法かと。

この他に本作のイラストでお気に入りの点は、キャラクター(特に悪役)の服装がオシャレなこと! フィクションの悪役は「そんな服どこで売ってるの?」と思うものを着ていることが多いのですが、バットマンワールドの悪役は色が変でも形は普通の服を着ている人もいます。ジョーカー・リドラートゥーフェイスはこのタイプですね。並々ならぬこだわりが詰まった特注品を着ているのだと思うと素敵。ジョーカーさんの衣装は衣装屋を襲撃して奪ってストックしてあるんだろうと想像しているのですが、トゥーフェイスの場合は左半身と右半身で色が違うという凝りすぎなスーツを着ています。さすがにこれは既存の衣装を盗んだだけでは説明がつかないので、行方不明だった1ヶ月の間に注文しておいたんだろうなあ。しかもカフスボタンが陰陽柄ときた! ジョーカーさんは「J」の刻印が入ったカフスボタンを愛用していますが、これに匹敵するこだわりですね。まあ、ジョーカーさんの場合は愛用のデカイ拳銃にまで「J」の刻印を入れているので、持ち物へのこだわりはトゥーフェイスの上をいってるみたいですが。美しく細い指にピッタリ合う手袋は特注品ですかね。

イラストで感動した点は、各話の扉絵! 全13話の本作は祝日ごとに事件が起こるので、各話の扉絵は祝日のモチーフと、各話で活躍する悪役を絡めたイラストになっています。私のお気に入りは大晦日の絵。バットマンとジョーカーが乾杯していますが、描かれているのはグラスを持つ手もとのみ! 真っ黒の背景に、グラスを握った2人の手が描かれています。グローブをはめたバットマンの右手と手袋をはめたジョーカーの左手とグラスに映る2人の顔。何だこのハイセンスなイラストは。美しい。美しすぎる。ティム・セイルさん、ありがとう。面識はないけど心からの感謝を。

各話の扉絵は画像検索してもらうとして。ここまでイラストの話をしてきたので次はストーリーの話をしようと思います。バットマン初心者からすると本作はトゥーフェイス誕生譚ですが、古株のファンからはミステリーとしても高く評価されているとか。犯人が作中で明示されず、殺人鬼ホリデイの正体は読者の推理に任されているので推理ものとしてはモヤモヤしますが、このおかげで飽きられることなく長く読まれているのかもしれません。まあ、ホリデイはトゥーフェイスの言う通り2人だけなのか、合計3人なのかすらハッキリしないのはさすがにひっかかりましたが。さらに言うと、1巻であがったホリデイの候補者が2巻で次々に殺されていき、ノーマークだった人物が証拠品を処分しているラストシーンになるのも反則といえば反則のような気がします。でもいいんだ。だって私はあくまでもトゥーフェイスの誕生譚として読んでいるからな! 一連の殺しは法廷シーンへの前フリだと思えば腹も立たないさ! 

ここからは各キャラクター(悪役)の話! カーマイン・ファルコーネのライバル、サルバトーレ・マローニが証言台に立ってデント検事に対面した時、スパイから受け取った薬剤(即効性制酸剤)をデント検事の顔にかけて取り抑えられます。この薬剤はコンクリをも溶かすとのことですが、こんなものを浴びたのに被害は皮膚だけで済んだなんて奇跡というか、デント氏の生命力が強すぎるというか。左目に入っていたとしたら失明していそうなものですが、瞳の色が変わっただけで見えてはいるらしい。こっちはマジで奇跡ですね。さすがに歯は助からなかったようで左半分が変色していますが、話せているということは表情筋はなんとか無事なのか。しかし、顔が左右非対称になったからって開き直って左右非対称のスーツを着るとは。デント氏は生命力も常人以上ですが、精神力も異常というかファッションに(文字通り)命をかけてるな。このファッション狂っぷりを見ているとデント氏には元から悪役の才能があったんだと思います。ここは顔の傷を治して「悪には屈しないぞ」って言うところだろ、というのはしょせん凡人の発想なんだと思い知らされました。っていうか、そんなマトモなことをされたらトゥーフェイスが誕生しなくてファンが泣くよね。ということで悪役ファンの私としてはこれからも、デント氏にはファッションに命をかけていてほしいところです。バットマンは、ファルコーネの屋敷でハービーに再会した驚きで「ハービー…」とつぶやいていますが、内心では「そのスーツどうした!?」と思ってたんじゃないかと。まさかおまえそのスーツ待ちで1ヶ月も潜伏してたんかと。その驚きゆえにバットマンは言葉に詰まったのではないかと。フルオーダーのスーツだとしたら納入までに1ヶ月ぐらいかかるんじゃないですかね。知りませんけど。

本作のジョーカーさんは眉が太く、口が大きく、口紅が黒いという独特のビジュアルをしています。細長い指と、袖口からのぞく細い手首が実にセクシーです。それにしても、わざわざ脱獄して一般家庭で盗みを働いたうえに住人を殺さないとは珍しいこともあるものですね。どういう心境なんだか。余程ヒマだったのか。まあ、クリスマスを監獄で過ごすのは誰だってイヤだから脱獄したこと自体には納得ですが。しかし単独でアーカムから逃げるとは。ジョーカーさんがすごいのか、アーカムの警備がザルすぎるのか、どっちだ。そして続く大晦日の一件。殺人鬼ホリデイを仕留めるべくゴッサムスクエアへ飛ばしている小型飛行機の操縦席で「ちょい待ち 時計が12時になったら…」と言ったから、てっきり「時計塔が爆発するんだぜ」と続くかと思いきや「アタイにキスして頂戴な?」ときたもんだ。これは殴られて当然だね! これは完全にジョーカーさんが悪いわ。私がバットマンでも殴る…いや、むしろハグして意表を突くかな。「キスはできないがハグならできるぞ。一緒にここから降りよう」って言って、一緒に飛行機から飛び降りたい(完全に妄想)

トゥーフェイスとジョーカーさんの他に活躍するキャラクターは、主にポイズン・アイビーです。本作のアイビーはジョーカーさんと同様にかなり印象的なビジュアルになっています。アイビーは赤い髪で描かれることが多いキャラクターですが(肌の色が緑色かどうかは作品による)今作のアイビーはそもそも髪が人毛ではなく植物で、人外度が爆上がりしています。これで彼女がフリーク(化物)扱いされることに納得がいきました。こうすれば操る植物をどこからどうやって生やしているのか問題は一瞬で解決するし、絵的に美しい。すばらしき解決方法ですね! 植物を操るアイビーの他には、幻覚ガスで恐怖を撒き散らすカカシの格好をした男「スケアクロウ」と機械工学を駆使して人の精神を操る帽子屋の格好をした老人「マッドハッター」なんかも登場して、この2人が馬車に乗ってる図なんてちょっとした悪夢なのですが。ポイズン・アイビーが悪夢を与えるのは、男をフェロモンで操った後のこと。森を抜けて我に返った男たちが見るものは何でしょうか? 本作ではブルース・ウェインが自分がしたことの後始末に追われましたが、人殺しをさせられなかっただけ良しとしましょうよ。

んーと。気がついたらとりとめのない記事になってしまったな。まあいいか。とりあえず、絵が美しいコミックと、何か一作バットマンを読んでみたいという人は読んでみてはいかがでしょう。バットファミリーが登場する以前の話なので、ブルース・ウェイン側の人間が少なくてわかりやすいのでオススメ。それにしてもゴッサムってスーパーヴィランが多すぎだよね。トゥーフェイスは長いハロウィーンが明けたって言ったけどさ。むしろ、アンタが誕生したことでゴッサムハロウィーン感は増し増しだよ! 主要登場人物のほとんどが仮装してるゴッサムは年中ハロウィーンだろうが! スーパーヴィランが一掃されて、本当にゴッサムハロウィーンが明ける時なんか永遠に来ないんじゃないのか。というか来るな。悪役ファンにとっては平和こそが一番の悪夢なんだよ(もはや危険思想)

 

以上。ハロウィンなので『バットマン:ロング・ハロウィーン』の紹介をお送りしました☆

 

追記:続編の『ダークビクトリー』も読んだ! 

トゥーフェイスのファンの人はみんな、続編の『ダークビクトリー』も読んでるんだろうなあ。だって、ヴィランとしては新人のトゥーフェイスが先輩ヴィランたちを仕切っててかっこいいし、死にも捕まりもしないで勝ち逃げするし。大物感が出ていて良いですね。『ロング・ハロウィーン』と『ダークビクトリー』を読んでトゥーフェイスのファンになった人も多いのでは。

それにしても『ダークビクトリー』のバットマンは健気です。トゥーフェイスにはハービー、スケアクロウにはクレーン、マッドハッターにはテッチと、それぞれに人名で呼びかけています。バットマンは彼らも1人の人間だと思っているのですね。もしかして、人間として呼びかけ続ければいつか正気に返ると思っているのかもしれない。そう考えると健気を通り越して、いじらしいですね。しかし彼らがフリークスと呼ばれるゆえんは外見や能力や狂気のせいだけではなく、皆、人間としての過去に関心がないのが一番の理由なのではないかと。スケアクロウことジョナサン・クレーンにいたっては母の日に母をしめ殺したそうですし。わざわざ肉親を殺すなんて、人間をやめることへの決意が堅すぎる。要するに、取り戻したい人生や帰りたい場所がないのでは? だからこそ平気で犯罪を犯すことができるし治療に応じないのでしょう。治りたいと思っていない患者でも投薬などで治療してこその医療な気がしますが、そこはフィクションですから。バットマンワールドではきっと、治りたいと願っている人しか治らないんでしょう。ということは、スーパーヴィランたちは永遠に治らないってことかな。バットマンは戦闘の訓練をしているヒマがあったら精神医療を研究するべきなのでは? アーカムの医者ってみんな無能な気がするし。

『ダークビクトリー』の2巻に収録されている短編「バットマン:マッドネス」ではバットマンが、ジョーカーとスケアクロウトゥーフェイスはそれぞれ異なる狂気を抱えていると言っていますが。それを区別できている時点でバットマンもかなり彼らに近しいのでは。まあ、正気の人間から見たバットマンヴィランと警察官のどちら側に見えるかと言えばヴィラン側だと思うので、彼らの狂気を理解できてしまうのも納得といえば納得なのですが。バットマンの精神構造は正気の人よりは彼らに近いんだろうなと思わせる短編でした。重傷を負いながらマザーグースを暗唱している時点で、アンタもかなりヤバイぞバットマン。気をつけないとあっち側に転落しますよホントに。

 

※本記事は、2021年2月6日に修正しました。

 

こちらは1巻へのリンク。オレンジの表紙が1巻です。

 

こちらは2巻へのリンク。ブルーの表紙が2巻です。

  

こちらはダークビクトリーのセット売り。

 

※本記事は、2019年11月22日に微加筆してリンクを加えました。

ダイソーで買ったデッサン用人形を秋服に着せ替えてみた。

目次

 

今回はタイトル通り、身長15cmのデッサン用人形を秋服に着せ替えしてみた件をお送りします。

 

下の画像が完成図です(⬇︎)

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ご覧のように服といってもリカちゃんやバービー人形のような凝った服ではなく、生地は100均で買った色紙だし貫頭衣式のワンピースなので作り方は簡単ですが、脱がすには破くしかないので基本的に使い捨て(⬇︎)です。この点はあしからずですが…

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こうやって脱がすのですが。なんかヤバイ図になってる(汗)

まるで乱暴された人みたいになってるぞ…(注)私には人形でそういうシチュ*1を再現する趣味はありません!

 

えー…それでは気を取り直して。以下、この人形服(秋バージョン)を作った手順をご説明しましょう。まずは用意する道具のリストから。

 

用意するものリスト

・お好きな色紙2枚

・定規(30cmモノサシ)

・マスキングテープ 又はセロハンテープ

・シャーペン又はエンピツ

・両面テープ

最低限これだけあればOKですが、帯を巻きたい方はこれに加えてお好きなリボンも用意してください。さらに、

・カッターナイフ

・カッター板

があればなおいいです。一直線に長く切る場合はカッター板をしいて、カッターナイフにモノサシを添えて切るとキレイに切れます。

 

貫頭衣式人形服の作成手順

いよいよ「色紙製貫頭衣式人形服」の作成手順を。作っているのは服なのですが手芸というより工作という感じ。全体で7ステップです。生地に使ったのは、同じくダイソーで買った少し固めの色紙(⬇︎)

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今回使ったのはこのデザインペーパー。この画像で人形が着ているのは以前作った夏服です。前回、人形服の作成に初挑戦した時は採寸も手順もテキトーだったのでメモしていませんでした。今回はちゃんとメモしたので記事にできました。

それでは、秋服の作成スタート。

 

1、好きな色紙を2枚、貼り合わせる(⬇︎)

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以後、貼り合わせたものをAと呼ぶ

 

2、Aの中心に2cm×2cmの正方形を描く(⬇︎)

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3、描いた正方形を切り抜く(⬇︎)

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4、ガイドラインを引き、Aの両端を3cmずつ切り落とす(⬇︎)

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切り離すと、スタート時よりも少しスリムな長方形になります。

ここで両端を切り落とさないと人形のヒジが服の下になり、動かしにくくなるので注意。フリーハンドで一直線に切るのは難しいので、シャーペンなどでガイドラインを引いてから、その線に沿って切り落とすのですが。ガイドラインを引いた状態で撮影し忘れました(汗)

ここでカッターナイフとカッター板を使うかはご自由に。私はカッターナイフで一気に切るのが好き。

 

5、Aを2つに折り、両端の下辺から継ぎ目の2.5cm下まで両面テープを貼り、中心に開けた穴に頭を通して着せる(⬇︎)

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着せてみるとこんな感じ。上部2.5cmがアームホールになります。

ここだけ項数が多いのは、両面テープを貼った生地も撮影し忘れたからです(汗)

わかりにくくてすみません。

 

6、両端の両面テープの紙を剥がし、前後を貼り合わせる(⬇︎)

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ここで両サイドの両面テープの紙を剥がし、いよいよ生地の貼り合わせです。ちょっと失敗して、向かって左側がシワクチャに(汗) 

無理に端を合わせようとせず、そのまま貼り合わせてズレた部分を切り落とすことをおすすめします。

 

7、腰から下を後ろ向きに折り、腰の位置でリボンを結ぶ

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これで完成。横から見るとこんな感じ(⬇︎)

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なかなか素敵な仕上がりになりました。作成手順は以上です。

みなさんも、お手持ちのデッサン用人形を見飽きたら着せ替えしてみては。Aの長さ(着せた時の縦幅)を調節すればヒザも出せるので足のポージングもできますよ。

それでは今回はここまで。

 

読者の方へ:更新の間が空きまして失礼しました。実はまた風邪をひきまして。ただでさえ変化の少ない生活でネタに困っているのに風邪で気力を奪われていたという体たらく。やっとこさ回復したので夏服のまま放置されていたデッサン用人形を着せ替えてみました。季節の変わり目に風邪を引くようになると歳ですね。みなさまもお気をつけて。

 

※本記事は、2019年10月23日に目次とリンクを加えました。

 

蛇足: 個人的にブログ更新期間の最長記録を更新してしまいました。失礼。



 

*1:シチュエーションの略。日本語で言うと状況だが、この場合は「鑑賞者の性欲をかきたてる特殊な状況」を表す。私は省略形の「シチュ」はエロ用語から派生したオタク用語だと思っている。人形愛のことはピグマリオンコンプレックスというらしい。

【ネタバレ注意】映画『JOKER』をもう一度観たら、印象が変わった。

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目次

 

劇場でグッズがみつからなかったのでたまたま通りかかった金券ショップでムビチケを買いました。買ったからには台風が近畿地方近くに来る前に使おうと映画『JOKER』をもう一度みてみたら印象が変わったので再びの感想記事を。2回目なのでネタバレありでお送りします。

本作はまず、予告編と本編で印象が違います。天才犯罪者ジョーカーが、バットマンがいない頃のゴッサムで警察を相手に好き放題に暴れまわる話ではありません。予告編ではけたたましく笑うアーサーと、うまく刑事から逃げ、タバコをふかしながら警官とすれ違うジョーカーのシーンが多く映るので派手な犯罪が観られそうに思いますがそんなことはない。派手な犯罪が観たい方には本作はおすすめしません。

さらに印象が変わるのは初見の時と二度目の時だと思います。初見の時の私は宣伝文句に影響されていたので「真面目に社会に馴染む努力をしていたのに失敗して狂った哀れな男がジョーカーになってしまった話」だという印象を受けたのですが、二度目の時には先入観を捨てて観たからか「実は元から破壊的なことが好きだったが生きるために無害な市民を装っていた男がやっと本性を表に出してジョーカーとして解放された話」だと思いました。アーサーは色々と恵まれていないので哀れな男であることには間違いありませんが、可哀想ではない。なぜならアーサーは我慢や努力を放棄することで遠慮なく本性を出せるようになり、母から呼ばれていたように「ハッピー」になるからです。つまり本作はアーサーのバッドエンドではなくジョーカーのハッピーエンドで、ジョーカーからすればやっと表に出られて万々歳なんじゃないかと。アーサーが笑いの仮面をかぶっていたのではなく、ジョーカーが市民の仮面をかぶっていたのが真相である。これが私の大まかな感想です。

この他、私がもう一度観て気がついた・思い出した細かな点をあげると

・アーサーの初登場時にはメイクが完了しているので最初は素顔がわからない

・母親ペニーの「あなたの幸せな笑顔でみんなを楽しませるのよ」は後に現実になっている

・アーサーが冷蔵庫に入って凍死自殺しようとした時、母親ペニーはまだ生きて入院していた

・アーサーは3人を殺したことを「悩むかと思ったけどすっきりした」と言っている

・最後にアーカムで面談を受けているシーンでは机にマイクが置かれている

・赤い足跡をつけて廊下を歩くシーンではズボン右足の裾に赤いシミが広がっている

以上です。以下、それぞれの点について書きます。

 

初登場時にはメイクが完了しているので素顔がわからず親しみを持ちにくい

初登場時のアーサーはメイクが完了しており、最初は素顔がわかりません。素顔からメイクしていくステップが観られるのは終盤です。出勤→到着→同僚に挨拶→メイクを始めるという生活臭のある過程を経てこのシーンに繋がっているはずですが、この過程はまるっと飛ばされて、アーサーのメイクが完了しています。観客の私たちは後のシーンにならないと彼の素顔がわかりません。素顔でない人には感情移入しにくのではないでしょうか。これは、本作では主人公に親しみを持たせる気がないことを表しているのかもしれません。アーサーはロッカーがある部屋でメイクしているので、このメイクは犯罪用ではなく仕事用であり、彼にとっては日常であることがわかります。アーサーが職業ピエロ(パーティークラウン)であることはCMからもわかることですが、あのメイクは仕事用であることを改めて伝えられると興ざめするかもしれません。さらに、終盤になるとアーサーがピエロマスクを見ながらメイクしており、彼のピエロメイクは彼のオリジナルではなく市販品を真似たものであることがわかります。親しみを持ちにくい導入部に加えて彼には独創性がないことを描く終盤。これを見る限りだと本作は主人公アーサーを肯定的に捉えていないようです。

 

「幸せな笑顔でみんなを楽しませる」は後に現実になっている

アーサーは母から「あなたの幸せな笑顔でみんなを楽しませるのよ」と言われて育ったようです。そのくせ母親は彼をいわゆる社会人にさせようとしていたらしいので、この言葉は「辛いことがあっても笑顔を忘れないようにしなさい」という意味だったのでしょう。しかしアーサーは文字通りの意味だと解釈してしまいコメディアンを目指したようです。アーサーのズレた解釈は後に現実になりますが、これはアーサーが当初思い描いていたのとは違った形でした。現実になったのは「ジョーカーとしての幸福な笑みが一部の暴徒を熱狂的に喜ばせる」という形です。皮肉といえば皮肉ですがジョーカーが幸福ならば私は文句なしですね。現実にいたら迷惑を通り越して有害な人なのはわかっておりますが。ついでに言うと、アーサーが自首して刑務所に入り囚人たちを楽しませるというルートを選ばなかったのは、実は彼には他人を楽しませる気がなくて自分が注目されたいだけだからだと思います。コメディアンになることに執着していたのはそのせいかと。だから、コメディアンになり損なって殺人ピエロになってしまっても平気なのでしょう。みんながもてはやしてくれるのですから。こう考えるとアーサーは可哀想というよりは自己中心的な人物に見えます。

 

冷蔵庫を使った自殺未遂は母親の入院中である

ひとりになったアーサーは自宅の冷蔵庫の棚を全部はずして冷蔵庫の中へ入ってしまいます。おまけに上半身には何も着ていません。どうやら冷蔵庫を使って凍死自殺しようとしたようです。このシーンはてっきり母親殺しの後だと思っていましたが、もう一度観たら母親の入院中でした。母親を殺して自暴自棄になったのではなく、母親が入院して世話をする心配がなくなったので心置きなく死のうとしたようです。3人殺したのに自首していないのは母親が心配だったというのもあったのか。この冷蔵庫は二人暮らしだった割には全然食料品が入っていません。家賃その他を払うと食費がろくに残らなかったのか、この家には食料品の買い置きがないようです。こんなシーンでも貧しさが伝わってきてやりきれない。ちなみにこのシーンはアーサー役のホアキンさんのアドリブだったとか。これが脚本にないシーンだったのなら、そもそもアーサーが一度自殺を試みるというアイデア自体がなかったのかもしれません。そうなるとアーサーが死に方を変えるというか、「ショーに出演する来週の木曜日まで生きていないといけなくなったので」気が変わって自分の出自を調べに行ったという流れ自体が、ホアキンさんのアドリブで生まれたことになります。すごいなぁ。

 

3人殺したことを悩まずに「すっきりした」と言っている

3人殺したアーサーが自首しなかった最大の理由は悩まなかったから。「ひどいことをした。悩むかと思ったけどすっきした」と言っています。犯罪であることは自覚していても罪悪感はなかった。アーサーは生まれて初めて人殺しをしたことで自分はムカつく奴を殺しても罪悪感を持たない人間であることを自覚したようです。いくら気が動転していたからといって、その場から逃げたのはともかくトイレでスローダンスを始めてしまう人に罪悪感なんてあるわけがないですもんね。あそこにあったのは罪悪感ではなく高揚感だと思います。最初にこのセリフを聞いた(読んだ)時はアーサーが狂いつつある兆候に見えたのですが、よく考えたら元からこういう性格だったのではないかと。そう思うと印象が変わるセリフですね。アーサーが一度死のうとしたのは自分の邪悪さを自覚したからなのかも。自宅で死んでひっそりと社会から消えようとしたあたり、罪悪感はなくても良心はあったらしい。もっとも、この最後の良心はショーで司会者を撃ち殺した瞬間に消し飛んだようですが。憧れの人を殺して憧れから卒業してしまったようです。

 

アーカムでの面談シーンでは机にマイクが置かれている

ジョーカーは捕まって入院させられたようです。真っ白な病院の壁を背景にして女性医師(?)と面談するシーンでは、机にマイクが置かれています。つまり彼の話は録音されているのですね。これは面談・カウンセリングというよりは取り調べの延長なのかも。しかし作中でアーサーは妄想を持ちうることがわかっているので、この記録は信頼できないという指摘をしている方もいます。私はこのマイクを見るまで、ジョーカーの話が録音されていることがわからず、この物語がアーサーの回想であることに気づいていませんでした。映画を観る際には小道具に気づくかどうかも大切ですね。

 

赤い足跡をつけて歩くシーンではズボンの右足の裾にシミが広がっている

彼がジョークを思いついたと言う→医師が聞かせてと言う→理解できないさと彼が言う→彼が足跡をつけながら廊下を歩くという流れになっているので、彼は面談の後に医師を殺したのではないか。その血をしたたらせながら歩いているのではないかという解釈も見ましたが、彼のズボンの右足の裾に赤いシミが徐々に広がっているのが確認できたのでこの解釈は違うかなと。私は彼が自分で自分の右足首を切ってわざと血をたらしながら歩いているんだと思います。これが、彼が先ほど思いついたジョークなのかは謎ですが。これを見る限り彼は理性のタガが外れており、かなり狂気じみています。そもそも一度も退院しておらず外で暮らしたことも事件を起こしたこともない、というわけではなさそうです。赤いスーツに緑の髪のジョーカーは現実に英雄になっていることでしょう。それならば、いつか支持者たちがアーカムを襲撃して彼が逃がされる未来もありえるのかもしれません。というか、実現してほしい。

 

以上。とりとめのない記事になりましたがひとまずここまで。いつか3回目に観たらまた感想記事をお送りします。

 

追記:この映画には4通りの見方があるよね。

この映画には4通りの見方があります。アーサーがかわいそうだと思うか否かと、作中のできごとは作り話であるか否かです。ちょっと図解してみます。

まず、アーサーがかわいそうか否かという視点を二つに分け、それぞれをAとBとします。

A:アーサーは何もかもを失って狂った哀れな男であるという視点

B:アーサーは元からジョーカー的な性格を内包していたという視点

次に、作中のできごと(アーサーがアーカムでマイクを前にして話したこと)は、アーサーの作り話であるか否かという視点を二つに分け、それぞれを1と2します。

1:作中のできごとはすべて現実に起きたことである

2:作中のできごとの一部または全ては、アーサーの作り話である

以上の視点を組み合わせは、以下のように考えられます。

A1、A2、B1、B2の4通り。

みなさんはどの組み合わせの感想を持たれたでしょうか。私は初回ではA1、2回目ではB1の感想を持ちました。ブログなどで他の人の感想記事を読む場合は、筆者はこの4通りうち、どの視点によっているのか考えながら読むといいかと。この4通りは感想を語り合ううえでの大前提なので、この部分が共有されていないと話がかみ合わないと思います。お友達と感想を話し合う際のご参考までに。

 

※本記事は、10月12日に加筆しました。

 

映画『JOKER』(2019)を観た。 ありがとうアーサー、おめでとうジョーカー。

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映画『JOKER』にはIMAX版限定で先着順の入場特典があるとのことだったので、近所にユナイテッドシネマがあるのをいいことに公開初日の朝イチで観てきました。入場者特典はA3サイズのポスターです。詳しくは以下のリンク(⬇︎)からどうぞ。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

入手後はとりあえずダイソーに行けば¥200+税でA3サイズの黒い額縁が買えるぞ! 私はさっそく額に入れて飾りました。ポスター写真の背景にもマッチしている不吉な色味でかっこいい!

公開早々にネタバレするのも酷なのでできるだけネタバレしないように気をつけますが、抽象的な感想のみをお送りするだけの語彙もないので所々、作中でどんなシーンがあったか書きます。これすらも嫌だという方はブラウザバックを推奨。あと、パンフレットにはあらすじが9割方書かれているので、ネタバレは絶対に嫌だという方は、鑑賞後にパンフレットを購入したほうがいいかと。

それでは以下、私の感想をお送りします。

 

ありがとうアーサー、おめでとうジョーカー。

観終わって最初に思ったことは、自分の日常が平穏に続いているのはひとつの奇跡なのだということ。些細なことで歯車は噛み合わなくなる。主人公のアーサーが危なっかしくも懸命に維持していた平和な人生は、段々と壊れていく。

観終わった後で、あのシーンは象徴だったのかなと想像したシーンがふたつ。これは観客の私が勝手に想像しただけなのだが。まずは、看板を奪われたアーサーがチンピラを追い、自ら看板に突っ込んで看板を壊してしまうシーン。あれは、アーサーが自分の手で大切だったものを壊していくという、この映画の筋立てを表していたのかもしれない。次に気になったのは、アーサーが母が入院している病院に、自動ドアの出口から無理やり入っていってしまうシーンだ。彼は出口から人が出てきて自動ドアが開いたすきに病院へ入ってしまう。これは、彼がいずれ間違った手段で目的を達するようになることを暗示していたのかもしれない。さらに言うと、この「出口と入口が決まっている自動ドア」は、「社会的に正しい人生」の象徴なのかもしれない。社会(院内)が求めているのはルールを守る人間であって、出口から入ってくるような人間ではない。しかし、たとえ「出口」から入ったとしても、「内」という社会に入ってしまえば目的は達成される。

パンフレットによると、アーサーがアパートに帰るために階段を登ることは、家に帰れば単調な生活が待っていることを象徴しているのだという。最初はその単調さこそが陰鬱で、アーサーがカウンセラーとの定期面談から家に帰るシーンでは暗く重い弦楽の曲が流れる。しかし物語が進むにつれ、いつの間にか私は、彼が外出する度にまた階段を登ってほしいと願っていた。どうか、帰る家までなくしませんようにと。しかし、この願いは無意味である。予告編を観ている観客の私はアーサーがいずれジョーカーになることを知っている。つまり、アーサーはいつか必ず、帰る家を失うのである。パトカーのボンネットの上で目を覚まして立ち上がり、メイクを直した彼は完全にジョーカーであろう。今の彼が、無名のまま貧しく生きることの辛さを訴えることはもうないだろう。そして、二度とあの階段を登ることもない。帰る必要はなくなったのだから。彼は最後に家を出た時に、唯一の友を見送っていた。彼はこの時、人間としてのつながりを持つすべての者と別れた。最期のショーのために身支度を終えて家を出た後の彼は、アーサーと呼ばれることを望んでいなかっただろう。アーサーだった時に少しでも良いおもいでをくれた者にはすでに別れを告げたのだから。

衣装に身を包み階段の踊り場でひとり機嫌よくダンスをしていた彼は、刑事たちにアーサーと呼ばれて我にかえる。この期に及んで彼をアーサーと呼ぶ者など、彼に殺人の容疑をかけて監視している刑事たちぐらいのものだ。

もう出演依頼を受けてしまった。それも、彼がずっと出たいと願っていたショーのだ。出演依頼の電話がかかってきた。アーサーだった時の努力は彼が死を決意した後になって実を結んだ。だから、死に方を変えて、出演するまで生きようと思ったのに。友だちにだって、さっきショーに出るんだと言ってしまった。なんにせよ今さら捕まるわけにはいかない。彼は刑事たちをふりきるべく、もう二度と登らないであろう階段を駆け下る。余計な演出に時間を割いてしまうのは悪役の常なのか。薄幸だった彼が珍しく楽しそうにしているのを見られて、観客の私はうれしくなった。彼の物語の終わりは近い。

彼は刑事たちをまいて無事に会場へ到着する。そして、楽屋へ挨拶に来た司会者マレーに言う。自分のことは本名ではなくジョーカーと紹介してほしいと。彼はカメラの前でアーサーとして死ぬつもりはなかった。最期ぐらいコメディアンでいたかったのだろう。

彼はこの日、カメラの前のジョークで人生を終えるはずだった。出演者いじりに慣れた司会者はまさか、ジョークに合いの手を入れて相手を怒らせることになるとは思いもしなかったのだろう。アーサーだった時に言ったジョークが一度もウケたことがなかった彼はついに言う。面白いか面白くないのかは自分で決めればいいのだと。カメラの前で一暴れした彼の人生はこの日に終わるどころか、彼の存在自体をジョークにしてしまった。生き延びてしまった今の彼は道徳にも社会貢献にも興味はないだろう。元から持っていた脳障害のせいで病院に入れられても彼は気にしない。自分はおかしくなどない。この発作的笑いも含めて自分なのだから。凝ったピエロメイクは落とされてしまったけれど。貧しいなかで用意した衣装は剥ぎ取られてしまったけれど。それでも彼は人生を楽しめることを知っている。病院に閉じ込められていることなど大した問題ではない。職員との追いかけっこは楽しい。アーサーとして私怨を持ちうるすべての人間を消した今の彼には、戻る場所どころか過去さえも必要ない。彼は今、本当に自由になった。

これは、彼の人生にバットマンが現れる前の物語。バットマンが現れるずっと前から彼は楽しくやっていた。彼には入院していながら愉快犯であり続ける才能があるらしい。

人間の変化は少しずつ進むものだ。人殺しなんて大げさなことをしなくてもいい。おとなしかった男がタイムカードの打刻機を叩き落とし「Don’t forget to Smille!」と書かれた標語の「forget to」を塗り潰す。見捨てられてなお、いい子でいる義理などない。この時に顔を出したアーサーの中の悪い子が後のジョーカーなのだろう。このイタズラは彼の不満の表現であると同時にわずかなユーモアが感じられる。この行動も彼にとってはジョークだったのだろう。打刻機は明日には直されて、標語を塗りつぶしたマジックはどうせすぐに落とされるのだから。アーサーが望んでいたのはこんな、ささやかな表現だったのだろう。人を傷つけないような。

彼がボンネットに乗せられるシーンは、ゲーム『アーカム・シティ』へのオマージュだろうか。バットマンに抱えられパトカーのボンネットに横たえられたゲーム版のジョーカーはすでに息絶えていた。彼が死んだことを皆に知らせるために、ゲーム版のバットマンはジョーカーを外へ運び出したのだ。しかし今作の映画では、ジョーカーは死んでいなかった。声援とともに立ち上がり、自分の血で口元のメイクを直した彼は拍手喝采される。この後、愉快そうにピエロマスクたちの暴動を眺めながら鼻歌混じりに歩きだしたのが、入場者特典のポスターになっているシーンなのではないかと想像している。

もしかしたら、このジョーカーは後に『ダークナイト』版のジョーカーになるのかもしれない。今回のジョーカーは口を切り裂かないし、アーサーとしてデータを取られているだろう。しかし、彼が口を切り裂いてデータを消せば、あのジョーカーにもなり得るのではないか。そうなればますます面白い。できることなら私はゴッサムの名もなき一市民になり、ジョーカーの活躍を無責任に眺められるようになりたい。

内心でジョーカーの誕生を、アーサーの不幸を望んでいる非情な観客の前で最後まで踊ってくれたアーサーに心からの感謝を。そして、ジョーカーの誕生に祝福を。

 

以上。

 

※本記事は、10月9日にリンクを加えました。

 

【ネタバレ注意】劇場版アニメ『HELLO WORLD』 これって無限マトリョーシカじゃないの? あと、狐面がかわいい。

目次

 

画像がないと記事がさみしいので公式画像ほしさに公式ビジュアルガイドへのリンクを貼ってみましたが、私が買った関連資料はパンフレットのみ。しかもパンフレットはアマゾンで相変わらずプレミア化(劇場価格比で2倍以上)しているので、流通している今のうちに劇場で購入することを推奨します。

 

9月20日に公開されたオリジナル劇場アニメ『HELLO WORLD』を私も観てきました! 個人的には『天気の子』よりも面白かったです。しかし『HELLO WORLD』のほうがSF色が強いうえに世界が3回もひっくり返るので、鑑賞者の理解力が求められます。『天気の子』ほど一般的向けではありませんでした。ある程度フィクション慣れしているというか、SF慣れしている方向けの作品です。SFが苦手な人は『天気の子』のほうがオススメ。あと、パンフレットでも一部ネタバレしているので、パンフレットの購入は鑑賞後のほうがいいでしょう。パンフレットを鑑賞前に買ってもいいのは、買っても読まずにしまっておけるぐらい意志の強い方のみです。私はいつも鑑賞後にパンフレットの購入を検討するので問題ありませんでしたが。

それでは以下、ネタバレあり感想をお送りしますのでネタバレが嫌な方はブラウザバックを推奨します。ここから先を読んでネタバレを喰らうのは自己責任ですのであしからず。

私の感想は大きく分けて2つ。

1、これって仮想世界が無限にマトリョーシカ状態になっているのでは?

2、保全システムの使い、狐面が不気味かわいい!

以上です。以下ではそれぞれ詳しく書きます。

 

感想1、これって無限マトリョーシカじゃない?

この作品の予告通り、少年直美の世界は仮想世界であることが判明するけど少女は助かるという流れかと思いきや、なんと青年ナオミは少女の一行さんを連れ去ってしまいました。この時点で王道のストーリー展開ではない。本作は初鑑賞だったこともあり、これは期待できるぞとワクワクで残りを観ました。

青年ナオミの目的は仮想の一行さんを救うことではなく、現実の恋人を救うこと。そのために少女一行さんに事故当時の状況を経験させ、精神状態を近づけたうえで、昏睡している恋人イチギョウさんの脳にインストールして、イチギョウさんの意識を戻そうとしていたのです。いやいやいや、それ、目を覚ましても心は高校生だろう!? 記憶は持続していないじゃないか! 君はそれでいいのかナオミくん! おかげでアルタラの研究チームは素晴らしい人材を得たわけですが。ナオミくんがこのチームに入ったのはこれが目的っぽいし。

青年ナオミの裏切りに怒った少年直美が後を追うのは予想通りでしたが、実は青年ナオミがいた世界も仮想世界であることがわかります。なんでこれが判明するかというと、少女一行さんを追って、アルタラの保全システムが「狐面」という使いを送り込んできたからです。狐面は狐のお面をつけた交通整理員のような外見をしており、立体映像ではないらしくイチギョウさんの首をつかんで締め殺そうとします。これはイチギョウさんと少女一行さんが同じ空間にいることが問題だったようで、同一人物が同時に2ヶ所にいるという矛盾を解消しようとした結果だとか。青年ナオミは狐面がイチギョウさんの首を締めた時点で、自分の世界も仮想世界であるらしいことに気がつきますが、とりあえず少女一行さんを元いた世界(アルタラの中)に戻そうと奔走します。一方の研究チームは狐面に質量があることには驚いていないようで、淡々と保全システムのスイッチに向かい、スイッチを切って事態の収拾をはかります。みんな冷静というか、ドライだな。さすがは研究者ですね。

少年直美は少女一行さんを連れて、一路、京都タワーへ。京都タワーへの道中に狐面たちとの追いかけっこあり、少女一行さんが無事に戻ったのもあり、合体した狐面と少年直美のバトルありで私はつい忘れていましたが、この青年ナオミがいた世界も仮想世界です。つまり、青年ナオミの世界にもさらに外側があるのです。青年ナオミはこの外側の世界(月にある都市)で目を覚まし、自分の恋人イチギョウさんに再会します。一見するとハッピーエンドですし、パンフレットの解説によるとこの月面都市が現実の世界ということになっていますが、私はさらに先を想像してしまいました。アルタラの中にある世界にも時間は流れているのですから、いつか科学技術が発展して、アルタラの中にさらにアルタラがつくられることもありえます。一度そうなったら無限に入れ子構造(マトリョーシカ状態)になっていくわけで。というか、もうすでにそうなっているのかもしれない。だとしたらこの月面都市だって仮想世界なのかもしれないわけで。ナオミくんが目を覚ました次の瞬間にまた狐面が登場してその場がパニックになっているんじゃないかと。しかしまあ、たとえ月面都市が仮想世界だったとしても狐面は現れないでしょうが。

アルタラの外側はイチギョウさんがナオミくんを起こすためにつくった仮想世界らしく、仮想世界のナオミくんと昏睡しているナオミくんの年齢差がありません。だから、ナオミくんがしたように記憶がちがう、別人格の直美くんを犠牲にしたわけではない。だから矛盾が発生しないんですね。これなら保全システムにひっかからない。でも、もしかしたら月面都市のどこかで誰かが何かしらの矛盾を引き起こし、やっぱり狐面が登場することになるのかもしれませんが。というか、そうなってほしい。なぜなら私は狐面が好きなので。その理由は次で説明しますね。

 

感想2、狐面が健気で不気味かわいい!

この作品で敵役を演じるのは、アルタラの保全システムの使いである通称「狐面」です。この狐面を派遣しているものには管理者権限があるようですが、アルタラの住民を直接削除することはできないらしい。だから使いを送って、暴力的な手段で解決するんですね。これが人間の組織だと主人公のせいで人員が犠牲になって心が痛みますし、逆に主人公に暴力を振るうと「この人でなしめ!」とか思って、どちらにせよ安心して観ていることができません。しかし今作の敵役はただのプログラムなので、主人公との攻防を心安らかに観ていられます。

この狐面の外見を私は先ほど「狐のお面をつけた交通整理員」と表現しました。この表現がすでに不気味ですが、さらに言うと首はなくて顔はデコルテの位置についており、腕が異常に長く、全員が同じ身長で同じ外見をしています。しかも、目が開いたと思ったらまさかの一つ目だし、実は口も開きます。要するに頭部は妖怪のわけです。妖怪と人間が混ざったような機能と外見をしているんですね。普通の感覚だとこれは不気味以外の何者でもないでしょう。

しかし私はケモノモチーフが好きなので、敵の顔が狐のお面の時点でもう好感度が高い。和風の敵といえば鬼が定番ですし、怖さを追求するなら能面もありだったと思いますが、あえての狐面なんですよね。しかも目を閉じたデザイン。これはあとで怖い感じに開眼するんだろうなという予感を抱かせる素敵なデザインでした。

それじゃあ、こんな奴のどこがかわいいのかと。実は作の狐面は顔もいいですが何より行動がかわいいのです。犠牲をいとわず目的に忠実で主人公の直美くんにいくら攻撃されてもひるまずに、健気にも少年直美くんと少女一行さんを追いかけるんですよ。アルタラ内でトラックに群がって分解していくシーンとか、少年直美くんが生み出したブラックホールも分解しようとして飲み込まれるシーンがすでにかわいい。そして、アルタラの外でがんばって病院の外壁をよじ登っていたり、自転車に乗った2人を捕まえようとして肩車してみたりとか色々と工夫しているのがさらにかわいい! え? おまえの言ってることはさっぱりわからないって? じゃあ、子供の頃に蟻の観察をしていた時の気持ちを思い出してください。あれです。あの気持ちです。なんか小さなものが集団でがんばっているのを見守っている感じ。ゲームで例えるとピクミ○ですね! ね、なんかわかってきたでしょ? いや、そんなわけないか。まあとりあえず、本作の狐面に対して「かわいい」という感想を持つことも可能だということは覚えておいてほしいのです。そして「狐面はかわいい」という先入観を持って本作を観てください。そうすれば狐面の不気味さが減って、怖くなくなるはず!

 

以上。オリジナル劇場アニメ『HELLO WORLD』の感想をお送りしました。つっこみどころがないわけではありませんが、とりあえず狐面がかわいいので観て。

 

※本記事は、2019年10月1日に微加筆してリンクを加えました。また、アルタラをアルテラと勘違いしていたので修正しました。失礼しました。

 

 

 

「ニッケルオデオン」と『25時のバカンス』と「アタゴオル」。短編集っていいよね。

お題「「好きなマンガ」ベスト3」

今まさに好きなマンガということは、売りも捨てもせずに本棚に残っている作品だろう。つまり、現在本棚に残っているラインナップの中に、お題に答えられる作品ベスト3があるはずだ。そう思って自分の本棚をしげしげと眺めてみたが、続きモノの場合はただ物語のオチを知りたいがために新巻を買っていることに気がついた。つまり、何巻も続いていて棚を占めている作品に限ってそんなに好きではないのである。もちろん個人的に面白いと思っているから買っているし読み続けているのだが、改めて好きかときかれるとそうでもなかったりするので、基本的に完結した作品は容赦なく処分している。

だったらどんな作品が好きかというと、ぶっちゃけ短編集が好き。ダラダラと長く連載されている大長編だと設定の矛盾が出てきて整合性がなくなってきたりするし、ツッコミどころや気になる部分が増えていき、素直に楽しめなくなってくるから。あと、登場人物が増えて人間関係が複雑になってくると覚えきれないというのもある。

長編よりも短編のほうが好きなのはわかったが、じゃあなぜ短編が好きなのか説明してみろ、と言われたら嬉々として説明できる。私が考える短編の長所を列挙すればいいだけなので簡単だ。

私が考える短編の長所は以下である。

・気軽に読める

・すぐに読み終わる

・登場人物が少なく人間関係が単純

・芯にあるアイデアが面白い

以上。すべて私の主観なので、読者の脳内で(ことが多い)を付け加えておいてほしいが。

短編集は基本的に1冊に収まっていることが多い。だから、初めて読む作家でも気軽に買って電車の中ででも読み始めることができるし、私なら2時間ほどで読み終わる。短編集はすぐに読み終わって長持ちしないのでコスパが悪く見えるかもしれないが、手元に置いて繰り返し読みたいと思える作品集に出会えれば意外と長持ちするので、むしろコスパがいい。それに、短い話であればあるほど登場人物は少なくなり、アイデア勝負になっていく。少ない情報量と研ぎ澄まされたアイデアが共存するという奇跡を常に起こしているのが短編集なのである。

ここまでつらつらと短編の長所をお伝えしてきたが、結局おまえの好きな作品は何なんだと。いいかげんで知りたいという読者の方もいると思うので、一応、タイトルとちょっとした解説をつけてお送りしよう。以下、作家名は敬称略でお送りする。

 

私(Mee6)が今のところ好きなマンガ、ベスト3

3位、道満晴明作『ニッケルオデオン(赤)』

道満晴明作の「ニッケルオデオン」シリーズには緑・赤・青の3巻がある。久しぶりに3巻とも読み返してみた結果、どの巻にも好きな作品があって迷ったが、今回は赤を選んだ。収録されている13作の中で特に好きなのは、アホみたいにあっけないオチの「ファニーゲーム」と、タイトルの意味が明確な「ウォレン=ウィルソンは二度殺される」、美少女がバラバラになる「回収委員と幻肢痛」の3作である。なにぶん短編なのでこれ以上のあらすじは割愛する。私は他にも「メランコリア」シリーズ上下巻も読んでいるのだが、あちらはメランコリア彗星にむけてパズルのピースがはまっていくのを見る群像劇だと思う。少なくとも「ニッケルオデオン」シリーズほどの変態度はない。道満晴明入門としてはあちらのほうがオススメではあるが、私の推しは断然「ニッケルオデオン」シリーズである。なんといってもこちらのほうが変態度は上だし、何よりカバーの手ざわりがいい。ぜひ紙の単行本をお買い求めください。

 

2位、市川春子作『25時のバカンス』

市川春子作の短編集には他に『虫と歌』があるのだが、私は『25時のバカンス』派である。昼・陸のイメージである『虫と歌』に対して、『25時のバカンス』は夜・海のイメージだ。私は昼夜だと圧倒的に夜が好きなので、この2冊では『25時のバカンス』が好き。「宝石の国」に登場する知的な貝はここから生まれたのではないかと思わせる表題作「25時のバカンス」、土星の衛星パンドラにある女学院が舞台の「パンドラにて」、王子の正体が意外な「月の葬式」の3作が収録されている。個人的には美少女率が高めで実はロボットものの「パンドラにて」が一番好き。何がいいって、女学院の制服のデザインがよすぎる。あと、不良組の制服の着崩し方が個性的で素敵。学院の運営目的が予想外なオチに繋がっているのもいい。市川春子作品は詩的なライトSFだと思う。市川春子作の短編集はカバーに透明で凸凹した特殊な印刷がされており、電子版では表現しづらい美しさがあるので、やはり紙の単行本をおすすめする。

 

1位、ますむらひろし作『アタゴオル』スコラ漫画文庫シリーズ

アタゴオル」シリーズは40年も連載されていたそうだし、私が知るだけで28冊も単行本があるので、ここでは大ざっぱにスコラ文庫版を選んだ。最初に読んだバトル長編シリーズ「キリエラ戦記」は文庫版に収録されていたし、文庫版には絵柄が安定していなかった頃の作品もあって面白い。特に5巻では別人が描いたのではないかと思うぐらいに絵柄がちがい、絵本の挿絵のようにほんわかした画風で線が細く、登場人物がみんな丸みをおびている。おまけにどのコマも全体的に白っぽくて明るい。次の巻(6巻)からシリアスな「キリエラ戦記」シリーズが始まるとは思えない穏やかさである。「アタゴオル」シリーズはメディアファクトリーからも単行本が出ており、判型的にも絵柄的にもあちらのほうが読みやすい。しかし、主要登場人物が初登場するのは文庫版だし、文庫版のほうが作者の感性が凝縮されている感じがするので私は文庫版を推す。文庫版に収録されている中で強いて一番好きな作品をあげると「タルダリ大帝Ⅱ 眠りの岸辺」だ。最終コマが美しいので何度見ても飽きない。このコマを夏に見ると涼しい気分になれるのでオススメ。

 

以上。私の蔵書から好きな漫画ベスト3をご紹介しました。以下は商品リンク集です。

 

アマゾン商品リンク集

マーケットプレイスのみだが意外と安価な3冊セット。

どの巻も甲乙つけがたいのでまとめ買いがオススメ。

  

 やはりあったセット売り。2冊だと金額も知れているので入門にオススメ。

  

こちらもマーケットプレイスのみ。最新巻というと連載中の印象があるので最終巻と表記してほしいところである。