福田里香著『物語をおいしく読み解く フード理論とステレオタイプ50』文春文庫(以下、略して『フード理論』と表記)を読んでいるところです。文庫版は全52章(後日訂正:目次をよく見たら全50章でした。どうやら、無意識にまえがきとあとがきも章に含めてしまったらしい。大変失礼いたしました。)あるんですが、まだ17章しか読んでいません。どの章も面白くて読み終えるのがもったいないので、少しずつ大事に読んでいます。元になった本はプレミア化しているので、文庫になってくれてよかった。物理的にもお値段的にも読みやすくて助かります。
芸術やフィクションの内容を理解することへの近道は、知識や教養を増やすこと。逆に言えば、知識や教養が少ないと芸術もフィクションもあまり楽しめません。中野京子氏の西洋絵画解説本がウケているのは「予備知識がないと誤解してしまう絵」を解説してくれるという実用性がありながらも、一冊一冊のテーマは「愛」や「欲望」といった俗っぽいわかりやすさだからではないでしょうか。よくある美術解説本は、地域(国)・時代・技法なんかで解説しがちですが、こういったくくりだと、予備知識なしでは、そもそも本を手に取ろうと思えません。中野氏の本が優れている点は、タイトルがわかりやすくて手に取りやすいという商品としての正しさと、「読者に正しい知識を与える」という書物としての目的を同時に達成している点でしょう。
なんでまたここで急に中野氏の話をしたのかと言えば『フード理論』にも同じような感想を抱いたからです。
教養の深い人が膨大な量のフィクションを鑑賞し、時間をかけて分析しなければ気がつかないことを、コンパクトにまとめて教えてくれる。手に取りやすさと実用性の見事な融合が本書です。一章あたりは3~6ページほどの短さながら「そういえばどこかで見たことある」「言われてみれば確かにそうだ」と思える内容ばかり。例えば「ゴロツキはいつも食卓を襲う」「仲間は同じ釜の飯を食う」「失恋のヤケ食いはいつも好物」「絶世の美女は何も食べない」など。どれもこれも既視感のある、フィクションのお約束。みんな漠然と気がついているけれど、あまりにも頻繁にみかける表現だからこそ、誰も真面目に分析していない。もちろん、作り手のみなさんは演出として、効果を知ったうえで使っている表現なのでしょう。
しかしこれを、消費者の目線で「あるある」として収集し、大真面目に分析したあげく本にまでしている人はまれなのでは。このような内容の貴重さに加えて、一章ごとについている漫画家オノ・ナツメ先生の扉絵がすばらしい! あとがきによると、著者はこの扉絵を楽しみに本文を書き進めたそうです。さもありなん。自分の文章にオノ・ナツメ先生の挿絵がつくとなれば、誰でも喜んでやる気が出せるでしょう。この本が生まれたおかげでオノ・ナツメ先生のイラストが新たに50枚も生まれたと思うと、それだけで感動します。扉絵のおかげで各章の内容を「はいはい、こんなシーンね」「こういうの、よくあるよね」と理解しやすくなっていますし、扉絵みたさに読み進んでしまう魅力にもなっています。提唱されている「フード理論」に興味がない方でも、オノ・ナツメ作品のファンは買って損はしません。扉絵をポストカードブックにして売ってほしいぐらい良い。内容の興味深さに高品質な扉絵がついてくるとなれば、文庫一冊のお値段以上の価値があること、まちがいなし! 食事やお料理に関心はない方でも、映画・アニメ・漫画がお好きであれば、ぜひお読みください。演出の意図がわかると、表現への理解度が深まって楽しいのでオススメ。
以上『フード理論とステレオタイプ50』読んでいる件でした。読みかけなのに面白いのはすごい。Amazonへのリンクはこちら(⇩)
蛇足:ここから先は読んでもらえなくてもかまいませんが「04」の応用編と思われる表現をみつけたのでお伝えします。漫画『銃夢 Last Order』1巻に登場する少年ジムが、P108でポップコーンを捨てるシーンです。彼に食べかけのポップコーンを捨てさせることで「嗜好品にポップコーンを選ぶ程度の幼さ」と「お菓子を独り占めする独善的な性格」と「食べ物を粗末にする悪人性」を表現しているわけですね。このポップコーンの表現の意図は、後のシーンを読んで彼の性格を理解してから見るとよくわかります。フード理論に基づく表現はこうやって継承されていくんですね。
2024/2/20追記:章数がまちがっていたので本文を加筆修正。本日、無事に読み終わりました。やっぱり扉絵が素敵だけど、読み終わってさみしい。