ロマンというほどでもない

日常以上、ロマン未満のモノを紹介するブログ。たまに私見も書きます。

『解剖医 ジョン・ハンターの数奇な人生』読んでみた。映画の主人公みたいな人だ。

目次

 

『解剖医 ジョン・ハンターの数奇な人生』概要

医学には大して興味はないが自由人は好きなので『解剖医 ジョン・ハンターの数奇な人生』(ウェンディ・ムーア著 矢野真千子訳 河出書房新社 2013年)を読んでみた。初読の感想は「もうすでに映画になってそうな人だな」だ。十八世紀のイギリスに生きた解剖医ジョン・ハンター氏の伝記である。十代で相次いで家族を失っているハンター氏は、自分の家族のように早死にする人間を少しでも減らしたかったのかもしれない。ハンター氏はスコットランド出身だが、本書には

十八世紀半ばのイングランドの平均寿命は三十七歳。スコットランドでもそんなものだっただろう。

『解剖医 ジョン・ハンターの数奇な人生』第2章 死人の腕 P46

という記述がある。人々の病死が多かった時代に生きていたからこそ、ハンター氏は医学を志したのだろう。結果的に権威ある地位に上り詰めるので反権力者ではなかったが、黙って先人の教えに従うような人でもなかった。

人体研究という分野は、完全に医学教育の枠の外にあった。

同書 第2章 死人の腕 P57

人体研究と医学が分離していたオカルトまがいのこの時代に、ハンター氏は従来の医学界の常識を信じず、自らが観察した結果をもとに考え、病やケガの原因を特定する主義だった。無神論者ではないものの、生物は徐々に変化するという確信はあった。生死を問わず異国の珍しい動物を集めていたハンター氏は、医師であると同時に生物学の草分け的人物でもあったようだ。ドリトル先生やジキル博士&ハイド氏のモデルと言われているだけのことはあり、医学・生物学への功績を抜きにしても人物像が面白い。巻末には年表もついているので、ジョン・ハンター氏の略歴を知れる資料でもある。要するにこの本はジョン・ハンター入門書だ。

 

出だしの一文が小説のような章をピックアップ

この本でジョン・ハンター氏の生涯を追うことの他に楽しいのは、全16章のまるでミステリー小説のような目次に加えて、出だしが小説のような章がいくつかあることだ。以下、私が「小説みたい」だと思った出だしの一文をあげる。

 

その男は苦しい選択を迫られていた。

同書 第1章 御者の膝 P17

解剖室の台の上には、切断された腕が置かれていた。

同書 第2章 死人の腕 P36

秋期講座の開講シーズンは、新入生を迎え入れるウィリアムとジョンにとって、いつもながら緊張する時期である。

同書 第5章 教授の睾丸 P115

蝋燭のちらつく灯りをたよりに、関係者たちは木の棺の表面に書かれた表象文字をじっとみつめた。

同書 第8章 乙女の青痣 P185

重々しい足音を響かせ巨人がロンドンに向かっているという知らせは、本人よりずっと早く都に到着した。

同書 第13章 巨人の骨 P325

孤児で文無しのコーンウォール出の少年は、一七九二年の冬にはじめてやってきたロンドンで、馬の引く車のガタガタという騒音と、商店のウィンドウのみごとな装飾、散乱するごみから立ちのぼる悪臭に圧倒された。

同書 第16章 解剖学者の心臓 P413

 

私のピックアップは以上だが、どうだろうか。第5章に至っては故人である登場人物の感情を著者が勝手に表現しており、かなり小説風だ。これではまるでハンター氏が著者の創作した架空の人物のようではないか。およそ伝記の書き出しには思えない一文である。この小説的な出だしは「伝記」のイメージに反して臨場感があり、2世紀前の故人の話ではなく、今まさに生きている人物の世界を見ているような気分にしてくれる。このような臨場感のある描写は『コンテナ物語』でも散見された手法なので、英語圏では伝記に小説のような表現を用いることは一般的なのかもしれない。海外伝記は意外と面白いジャンルなのではないか。本書は、これからも翻訳された伝記を読んでみたいと思わせてくれる。これだけでも一読した価値があった。

 

ジョン・ハンター氏の魅力

続いて、ジョン・ハンター氏の魅力的な点について語らせていただこう。まずハンター氏の外見的な特徴は、

髪色:赤毛

身長:少し低い

体形:細身だが肩幅はあり、少し筋肉質だった

以上である。この外見はハンター氏が二十歳頃の描写だが、この外見だけですでにキャラクターじみている。この外見に加えて、

・学校の勉強を嫌がり、よく授業をさぼって生物を観察し、十三歳で学校をやめる。

・大工の見習いで手先の器用さを披露する。

・兄の下で手先の器用さを発揮してたくさんの人体標本をつくる。

・筋力にものを言わせて罪人の死体争奪戦に勝つ。

・上流階級とつきあうようになっても口汚いままだった。

・ロンドン内に、華やかな大通りに面して招待客を迎え入れる表玄関と解剖用の死体を運び入れる裏通りに面した裏玄関を持つ屋敷を構えた。

・ロンドン郊外には、珍しい動物を屋外飼育する屋敷を構えた。

・金持ちからは高額の治療費を取ったが貧乏人は無料で治療した。

などなど、功績と功績の間に本人の動向が描写される。途中からはハンター氏の動向を追うほうが楽しみになり、氏の功績よりも人となりに注目してしまった。以上の情報からハンター氏の人物像をざっとまとまると

・筋肉質で手先が器用

・無教養だが観察主義

・人を救いながら出世した

・出世しながらも好奇心を満たした

人物である。筋肉に器用さが加われば鬼に金棒だし、無教養でも観察主義なら科学の発展に貢献できるし、出世して義務が増えても惜しみなく金を使えば街にいながらにして未知を探究し好奇心を満たすことができる。要するにハンター氏は、私から見ると理想的な人生を送った理想的な人物なのだ。

 

おわりに

十代で家族を失ったり、兄と仲たがいしたり、標本集めなどでいつも金が足りなかったり、結婚して子供を授かったのに子を2人も亡くしたり、狭心症になったりと、ハンター氏も苦労した。しかし、どうもこの伝記を読んでいる限りでは、本人的に楽しくてしかたない人生だったような気がするのだ。農家出身の無学な少年が大都会になじみ、有名になり出世しても自分を見失うことなく、自己を保ったまま人生を謳歌した様が伝わってくる。私もハンター氏のように生きたい。

 

以上。『解剖医 ジョン・ハンターの数奇な人生』を読んでみました。現代人の理想を体現する人物、早くも十八世紀に現れり。

 

 

※本記事は、2022年6月4日に微加筆し、リンクを加えて再公開しました。

 

追記:この記事の公開後に読者様が増えました! 登録ありがとうございます! 主要テーマがないブログですが「ロマンというほどでもない」の名に恥じないスキマ的なものを紹介するブログであり続けようと思っていますので、末永くおつきあいいただければ幸いです。